ワタクシなんかが、ワタクシ程度が・・・

という気持ちは誰でもあるものだ

いわゆる謙遜する気持ちは自分を低く見せて

相手を立てるものだろうと思う



相手を立てて、自分を低くみせることによって

自分を取り立ててもらおうという腹も見え隠れする

ほんとにワタクシなんかが言うべきことではないとか

意見すべきではないと躊躇することが

実は大事な問いかけになったということも、なくはない



偉い立場になった人も、もとはといえば新人であった

いま偉い人も若い時分は上の人に意見をする勇気があったはずで

その思いに上の人が応えたり、受け付けなかったりされながら

失敗も糧にしながらステップアップしてきたはずである



ところが偉くなるとそういう過去の自分を振り返らなくなる

エライというエラポジションに自分を置くことで

エラポジションなりのふるまいを身に着けようとして

周りもチヤホヤするものばかりだと調子乗りの勘違いが出来上がる

こういう人は上に立つ器ではない、残念ながら



みんながみんな、同じ視点で同じ手段をとると波風は立たない

しかし局面は停滞し、いつしか気づけたはずの小さなほころびが

上がってこなくなり、大きなほころびになってはじめて気づく

ということも考えられる



エラポジションの人も別の視点の意見が「ほしくなる」のでは?

そうしないとなぜ見過ごしてしまったのかと後々、後悔する

エラポジションの人はおそらくそこまで理解しているはずだ

ほんとに有能な人なら、そんなにバカではないはずだから

違う意見を聞きたがりであると予測する



ただ、エラポジションまでに意見が上がってこないで

途中のプチ・エラポジションで封殺されてしまうのが社会の常

機嫌をよくしてもらうことが先にきてしまう

保身が先にくるからだろう、上の人を保温してしまう

謙遜スイッチがオンになりっぱなしで、上の人もぬくぬくと温まる



熱を逃がさない保温機能抜群の器でしかない上の人は

さぞかし気分がよく、上機嫌であろう

しかし別の視点をもつほんとの有能な上の人は

熱を逃がす冷めやすい器をしている

複眼的な思考を絶えず欲することによって「蒸気減」にして

器をクールに保っているのだろう



みなさんの上司はどんな器だろうか

みなさん自身もどんな器であり

またはどんな器になりたいのだろうか