キレイにしなければ、キレイにならなければ・・・

キチンとしなければ、かっこよくしなければ・・・

人間の欲が満たす先は果てしない

ついこのあいだまでは許せてきたことも許せなくなる



たとえばテレビやネットなどでも広告があるが

みんな快適、清潔志向を満たそうとするものばかり

そういう心理を揺さぶるものなんだろう

ビジネスとしてはその路線が旬だから、どんどんアオる



たしかに快適にすると、清潔にすると満足する

しかし、その基準が当たり前になると

そうでない状況が許せなくなってしまう



快適、清潔が満たされていなかった時代に育った人たちは

ちょっとくらいではたじろがない

正確にいえば、「たじろがなかった」であるが

便利になってきたなかで、そのちょっとが不満に思うようになる



常に快適な状況を満たして育った子供や大人たちは

その状況が失われたとしたら、かなり混乱をするはずだ

スマホが充電できない、寒い、暑い、臭い、痛い・・・

あらゆる五感にグレードダウンした環境が突き付ける現実



災害などで生じるこういう満たされない状況も想定できるはずだ

そんなとき冷静に、我慢して現実を受け入れることの免疫がない

不便や不衛生のどん底の経験がないのはある種、不幸だなと思う



なんでも叶えてきた社会の当たり前が崩れたとき

人間の心づもりが問われる

学校などで避難訓練はするだろうが

そういった心づもりの訓練も必要ではないか?



うまくいかないとき、どういう気持ちになり

それを受け止め、理解してどう立ち直るか

自分のなかにこうなったらどうするかを考える余地と

考えて動ける思考の余地を残しておかないといけない気がする



なんでも与えられ、手を差し伸べられて育つと

マイナスな状況で立ち往生してしまう

状況を受け止める冷静さや開き直り、跳ね返す心の強さは

現代においては実戦的には鍛えようがない日常だ



便利にして成長してきた日常だけど、逆に、だからこそ

便利じゃない日常を経験させる必要がある時代でもある

「攻めてるときこそ、カウンターに備える」

そういう個人戦術も磨いていかなければならないのだろう