人間関係がストレスになることは、いつの時代にもあること

では、いまの時代とむかしの時代とでは何が異なるのか?



いまの時代は、何らかの形での外部への表現手段が増えたことにより

これまで見えなかったものが可視化されてきたことである

可視化されたことで、世間の目にとまる

SNSなどに代表される発展の仕方がこれである



むかしの時代はというと、誰かの目に留まることがなかった時代において

人はどうやってそのストレスを解消し、あるいは受け入れてきたのか

これを知ることが、いまの時代においてもヒントになるのではないだろうか



ストレスは誰にでも、いつの時代にでも人間は感じるものである

あきらかに違うのは、むかしはストレスに対しての

速効性のあるものがなかったということだ

どこかに逃がしても、誰も解決のすべを知らなかったり

ガマンしようという選択しか残されていなかった



そのストレスを受け止め、自分のなかで寝かせることによって

ストレスを感じた時点では気づかなかった大事なことに気づき

場合によっては、自分に非があったと受け入れることにつながる

ってこともあっただろう

かと思えば、ストレスを抱えながらも生活していくなかで新たな喜びや

楽しさをみつけ、それに没頭することによって忘れてしまうこともある



つまり、時間が解決するというようなことを

いまの時代が、待てない環境にしてしまった

何もかもが急がされながら、内容を見ずに簡潔に結果だけを見る

過程を振り返る時間的な余裕を与えない世の中になってしまった

これらが最たる原因ではないだろうか



だとすれば、単純に解決を求める風潮のなかであっても

少しだけ意図的に、コトの進み具合を遅らせてみてはどうだろう?

時代のスピードに、自身の心の熟成のスピードを合わせる

その必要は考えてみればどこにもないはずである



私たちはただ単に、せかされているだけであり

冷静に判断していると自認することであっても

冷静には判断できていないことのほうが多いのではないだろうか