そういえばひと昔前はカメラをぶら下げた人の代名詞
これが日本人であった
それがカメラがカタチを変えて現在はスマホになったが
なんら変わらない、世界中のいろんな国の人々も
「日本人」とおんなじことしてる
人間がどんどん自分の内側を使わずに
自分の外側に記憶しはじめているのは
本当にいいことなのだろうか
記憶も記録も間違わずキレイに残したい・・・
気持ちはわからなくもないが外側の記憶に頼るあまり
内側の記憶のセンサーが微弱も微弱になってしまった
そのセンサーというのは大事な感覚だと思うのだが
ここをないがしろにしてしまったことによって
気づきのセンサーも弱くなってしまったのではないか
これに限らずすべてのセンサーが脆弱化していないだろうか?
どうやら機械という魔物は人間のあらゆるスペックを徐々に
気づかれないように低下させてくウイルスのようだ
現に、それに気づけていないのはどこの誰なんでしょうか?