伝わる、ということは相手との関係において

趣旨が伝わる、イメージが伝わる、などいろいろとある

言いたいことが伝わるということにおいては

相手の理解が前提にあるから、相手の理解できそうな言葉や

書き方、話し方をしなければならない



大抵はそうであるが、そう簡単に伝わるなら誰も苦労はしない

伝える側の根っこにある気持ちやニュアンスに対して

相手の受け取り方のちょっとしたズレが誤解も生むこともある

だとすれば、こちらのイメージの欠片を断面的にでも伝えることで

相手がこちらのイメージの全体像へたどり着く手助けはできないものか



Aというイメージ、Bというイメージを欠片として断片的に伝える

そこから相手がこちらのイメージを共有する部分、重なる部分をつくる

AとBだけでなく、CからJまで含めて10個のイメージを相手に託すと

こちらが単純に「アルファベット」を伝えたい

ということに気づくのが最終目標だとすれば

その最終目標のイメージには対しては

相手が自然に推理や思考を働かせていて

イメージの欠片をヒントに自分で答えを導き出している

ということが言えるのではないか



つまりは、人は考える材料があれば、それをヒントに同じ共有ポイントに

到達することは可能なんだろうなと、なんとな~く感じるのである

伝えるために、うまくまとめてシンプルにしようとすることでなければ

相手に伝わらないだろうという思い込みが強すぎるのではないか?



もちろん受け手の聞く気持ちは無視できない

これが一番重要かもしれない

時間がない、いまは考える余裕がない、いまはそんな気分じゃない

それよりもやらなくちゃならないことが頭の中を占めている・・・

そんなときはどんな説明も相手の真の視界には入ってこない



まずはいろんなイメージの欠片を示して、時間をかけて相手の思考の熟成を待つ

たとえ良きタイミングでなかったとしても、相手の真の視界に入る時間を

意図的において待ってみるというのも

なにかを伝える場合の面白いアプローチではないだろうか



このイメージは伝わるかな・・・(笑)