伝える側と伝わる側の相互のレベルアップを促すには
どうしたらいいだろうか?
コミュニケーションのソノサキを見つめてみる
全部をわかりやすく簡潔に丁寧に伝えることは一見すると親切
伝わる側へのアカゴにでも教えるようなわかりやすさは
本当に「考えなくていい、理解しやすい」から助かるってなるが
むしろそれを要求し、それが当たり前のマナーと勘違いさせられている
本当に、これでいいのか
双方が「思考するを軸に考える」ことができるのなら
伝える側は変に媚びてしまってもダメなのではないか
伝わる側ももっと「みなまでいうな、自分で気づいてみせる」が
かっこいいのではないのか、自分をより成長させるのではないのか
社会は生活環境をすべてわかりやすくさせようと平易化していく
これは誰にでもどんな人にも、というやさしさはもちろんわかる
ありがたくて、心をギュッとされる「もちろんぎゅ」である
しかし、しか~しである
考えなくていいように社会が促し続けると人間がよりシステマティックに
なりすぎて、考えなくなってしまう危険があるのにも気づいているはずだ
あまりに難しすぎる言葉や表現で気持ちよくなるインテリ層も論外だが
受け手が努力しないこと、これはこれで恥ずかしいと思う
そのちょうどよい頃合いを常に相手と探り合いながら思考せよ
この距離感の探り合いっていうのは駆け引きとは少し違う
もっと相手を分かり合おうとする気持ちのスタートである
伝わりづらくて伝わりきれないことの一端において私たちには
伝わる側の受け手が理解しようと踏み込む一歩が必要なのではないのだろうか