情のある人間に育ちますように・・・
親になれば誰もが願いをこめる思い
果たして親の思いはどこまで届くのか?
環境や時代が異なるとどんどん難しくなっていく・・・
親自身が育った時代が単純に分けて、バブル前だとすれば
親たち自身は中流家庭以下が多かった時代を生きてきている
いまは中流家庭以上が増えて、それを維持するのが
景気や物価、税金等もあり、困難な時代に差し掛かっています
人はなぜ、便利なことに慣れると利便性のレベルを落とせなくなるのか
たしかに身体的にも体力が衰えてきて、大変になることが多くなる
これはその年齢に自分本人がなってみないとわからないことでもある
なんでも叶えられて育った、貧しさや不便を知らない人間
貧しさや不便の体験が土台にあり、なんでも叶えられるようになった人間
この両者の違いは一目瞭然であろうと思う
しかし後者でさえ、なかなか生活の質の低下を受け入れられなくなる
40代以下の世代はおそらく前者が多い
なにもかもが崩れ去ったとき、自分を支える土台がもろい
若ければ若いほど便利なスタイルしか知らない世代が多くなる
土台がもろくなり、破綻をするのはおそらくは
気持ちのコントロールであろうかと思う
必ず来ると予測される大地震や、想定を超える自然災害
どこまで落ちるか、普段あるものが無い環境かもしれない
貧乏や不便さを「知っている」世代は、たしかに体力的に困難かもしれないが
戻れる自分の土台がまだ心に残っているから、「あの頃を知ってるから」
ガマンができる、譲ることができる、思いやることができる
この「二刀流」は大きな意味でのアドバンテージになる
なにもかも便利にしてきたおかげで、普段の生活は豊かになった
しかし昨今の大きな自然災害が多発して何を思っただろうか?
自然を破壊してきた報いを、身をもって体験しているのではないか
「誰も悪くない、だってしょうがないじゃないか」
そう言うかもしれないが、その逃げはもう十分聞き飽きた(笑)
大事なことは、最も新しい時代に生きる人こそ未来のために
最も難しい選択をシビアにしていかなくてはならないということ
便利オンリーで育ってしまった責任は当の本人たちのみではない
「最近の若いもん」の環境をつくって認めて、与えてきたのは誰?
不便オンリーから発展させてきた世代の生み出したものでもあるはずだ
わたしたち40代以下の世代は、近い将来、より高度な選択を迫られる
もしかしたら、倫理的に認められないことも選択せざるを得ないかもしれない
そういう時代に生きていることを自覚しなければならない
自分も我が子も含めて、不便な生活をあえて体験させること
スマホも、パソコンも、便利な家電製品も、テレビもすべてない環境
生活にあえて負荷をかけて過ごすことで、いざとなったとき
戻れる自分の最低限の土台をつくることが必要ではないか
大きな転換期には、もう一歩先を見据えて予測して行動するべきで
最も不幸なのは、気づいているのにやらないことではないか
不便オンリー世代も、便利オンリー世代も自覚しなければならない
あんたもわたしも、この子もあの子も
未来のためにやらなきゃならないことはたくさんある