わたしたちの社会にはカオナシが多い

社会的なカオは有しているが

人間的なカオを持っていないというべきか

そんな特徴のみえない人間が多く感じられる

これはもう数十年変わっていないのではないだろうか


人間的なカオとはなんだろう

簡単に言えば、素の自分であると思う

この素の自分を隠さなければうまく生きていけない



前にも書いたけど、社会人フィルターみたいなものがあり

他人も社会人フィルター越しに評価を

他人にも本人自身にもしているのだろう



なぜ社会人フィルターを装備するに至ったのだろう

社会の要請であるとしても、どうしてここまで

何重にも張り巡らされた社会人フィルターを通さなければ

わたしたちの社会は維持できないのか



その結果、通り抜けてきたカオはみんな同じカオである

無難に無難を重ねた個性のないカオであり

感情の表現や伝達がうまくできなくなったカオナシが量産される



次第に息苦しくなり、感情のはけ口がネット上にあふれ出す

津波のような負の感情が周囲を誘発して巻き込んでいく

大きな津波となって社会全体をのみこんでいく・・・

カオナシたちのシワザである



ほんとうはこうしたい、でもいえない

ほんとうは、ほんとうは・・・

みんな素直になりたい気持ちをかくしている

風邪でもないのにマスクするように



それが社会だよ

この決めゼリフからもう数十年経っている

新しい決めゼリフをつくらなけらばならないのでは?

いつまでもこの逃げゼリフが許されるわけではない

この逃げを次の世代にも伝えるつもりなのだろうか