最近はことわざについて知りたいと思うが
あんまり深くは知りたくないのもホンネ
自分も気をつけないと知識の渦に
巻き込まれてしまいそうになりそうで
知識はある意味残酷だ・・・
発想やひらめき、アイデアを奪う
なんで気づかないんだ?って
人間にはならないよう、インプット過多にならないよう
ワタクシは意識している
ことわざとは、言(こと)の業(わざ)であるらしい
昔の話であり、それを伝えたかった人と
伝え聞いた人たちの良心を信じるしかないのだが
都合よく解釈して話をつくったものだとしても
それが人のこころをとらえる金言になるのであれば
後世のために役立っているのだろうと思う
物事の次第を経験を通し、見守って振り返り
たどり着いた結論や至言であるし
その次第が連なって時代となってきた
それをウソついてるんだろなぁなんて
野暮なことは言わない(笑)
ホントはこうだった!みたいなものが最新の科学で判明した
なんてことも、いろんなメディアで目にしますが
それはやっちゃいけない「おやくそく」でしょう
諺(言の業)がわたしたちに教訓や知恵として授けられたのであれば
当時の人々が過去を総括し、こうしたほうが良くなるんだよ
そういう願いも込められているはずだから
正しい、間違っているの判断ですませてはならない
そこ突っ込む意味を「あとあとまで視野に入れて」考えているのか?
〇か✖かでなんとしてもその時点でハッキリさせたい欲が強すぎる
いつかその欲が大きな間違いの発端になるはずです
ホントに知りたいか?知ったところでどうなるか?
知ったことで最良の判断ができるのか
知らずにいていいこともあるし
全部知るには不可能であり、その真偽さえ・・・
社会自体が「法律的な質感」になってはいけないでしょう
この質感のニュアンスが伝わればいいですが(笑)
ことわざ、故事などのようなものが
一番伝えたいことは、そのときの事実の真偽ではない
「こういうときはこうすべきだったんだ」
という反省や自戒がつめこまれたものであり
時を越えた先人たちの大事なメッセージなのです
わたしたちも、かつての先人たちも
生きているそのときその瞬間が、時代の最先端である
先人が伝えきれないこともたくさんあっただろう
同じ間違いを繰り返してしまうことが一番失礼で
先人の教訓をいつも、ないがしろにしてしまっていないか
いつの時代も変わらない人間の至らない部分で
人間は最先端にいると過去を振り返らなくなるらしい
最先端はいつも新鮮で、意欲に満ち満ちている
ワクワクする楽しさもあれば、時代をつくる高揚感もあるだろう
しかし、最先端の人々が正しいと判断していることが
本当に将来において間違わない判断になっているのか
もう少し時間をかけて、過去に照らして考える必要がある
単純にいまでさえ、40歳の判断力と経験知は
60歳の判断力と経験知には及ばない
倫理的にも様々な判断が難しい転換期にきている昨今こそ
過去に、お年寄りに学ぶべきことはたくさんあるのではないか
故きを温ねて新しきを知る
そういうことではないかなと
・・・最後グダグダになりました(笑)