謝るべきときに、謝ること

これって結構、大事なんですよね



謝らないで居直るというと悪いイメージが浮かぶのが普通です

自分の非を棚に上げて、というふうにうけとられますね

このケースでは完全に相手自身が、自分が正しいと

信じて疑わないのが通常です



では、居直っていることばの象徴?代名詞的なもの・・・

「だってしょうがないじゃないか!」を考える

ご存知、えなりかずきのものまねでもお馴染みですが(笑)



これは誰も好きこのんでこうなったわけではない

各自が一生懸命やってるけど、結果としてそうなってしまった

誰も悪くない、悪くないと主張したい気持ち同士が衝突する

どうしようもない悲哀のようなものが全体を覆うイメージがあります



しかし、これで止まってしまっては何も解決しません

じゃあどうする?ってなりますが

しょうがないと思う内容に対しての視点を変えてみるんです



しょうがないことは本当にすべて正しく選択しての、しょうがないなのか?

決してそうではないはずである

だとすれば、お互いに反省の余地があるはずなので

キチンと自分のことを振り返り、反省すべきところを認め

胸襟を開いて、謝るべきことは素直に謝るべきではないか



近年は謝る行為を恥じてしまう傾向がありますが

謝ることは決してマイナスにはたらくことばかりではない

弱点をさらすことに対して、警戒しすぎると逆に全体がうまく回らなくなる

それがいまの世の中の閉塞感の原因でもあると感じます



相手も謝らないからコッチも謝らない

弱点などさらしてなるものか

どこかウソをウソで塗り固める構図と似ていませんか?

でもどちらか一方が謝ると、もう一方も素直に謝れる

そういう瞬間、子供のころありませんでしたか?



謝るべきときに謝ることで、目に見えない距離が縮まるはずです

無用な距離感のなかで生きるのも、ある一面ではストレスがないのかもしれない

しかし、無用な距離感が無いなかで生きることでもストレスは軽減される

現代はあらゆる局面で謝りそびれて、謝る瞬間を逃してしまう

そんな誤った判断を積み重ねているのかもしれませんね