社労士業界もこぞって取り組もうとしてる働き方改革
やはりというか、だろうなというか
ぬくもりのない知識をベースに物事を進めようとする意図がアリアリだ
外野からすれば国の方針を守ろう、守ろうとするあまりに
あれもダメ、これもダメと締め付けが厳しくなっているだけでしかないと感じる
何に「合わせて」いるのだろう?と思うのである
働き手の声は、ほんとうに聞こえているか
何もかも快適な環境を提示して、伸ばしてあげる
これはすべての労働者にとって善いことであるのか?
厳しさも、不便さもまた真である
真であるし、芯食ってる話でもある
働く人たちには、その年齢やキャリアによって苦労する経験を積み重ねる時期
失敗して失敗してそれでも立ち上がって反発する気持ちを原動力に成長する時期
必要なサプリメントはみんな同じじゃない
働く人の環境は多種多様であるのに「推し進めたいもの」をこちらから
導いていく形をとりがちになっていないか?
そこに主体性は、まったくない
社労士も主体性がなければ、受け手の人間も主体性がないという現実だけがある
国が示した「おおまかなカタチ」はイコールで「正しいカタチ」ではない
知識をよりどころにして社労士が国の請負レベルで「推し進めたい」ものは
労働者のこころには、まったく響いてこないのだから
基準を示されて、それを実行することだけを目的においていて
目の前にいる人のこころをみていない
「人を大切にする」の人は、国のお役人さんやお偉いさんのことですか?
基準のとおり、推し進めたいことを提示していく
これをほぼすべての社労士が判を押したように展開していくとどうなるだろう?
考えているようで考えていないんですよね
知識と記憶の上塗りでの頭はいい人が多いのですが
無いものを考える、つくり出すとか、発想する力が弱い
これはもう日本人のほとんどがそうだからという
永遠の逃げはもう許されない
ひとりひとり、考えましょう
社労士も事業主も労働者も、ひとり残らず考えましょう
知識に頼らず、記憶に頼らず、考えてみましょう