「話す」⇔「聞く」という双方向のコミュニケーションが
現代は失われつつあるのではないだろうか
「話す」と「話す」がぶつかり合って反発しあう関係が
いまは世界のどこでも至るところで見られる現象である
「話す」ことは自由ではある
誰でも人それぞれに話すこと、意見をもっているだろう
しかし「話す」ということは誰かの意見を「聞く」ということと
対(つい)になっていなければならないのではないか
「話す」⇔「聞く」が交互になされ成立してこそコミュニケーションである
現代は「話す」を一方的にぶつけ合っている社会になっている
「話す」には正論もあれば、他人をおとしめようとするもの
批判して炎上させようとするものもある
そこに見え隠れするのは不満や自分の欲求をただぶつけ合うだけの
互いに投げっぱなしの構図
私たちの生活や社会を一方的な投げっぱなしだけで成り立たせるのは不可能
願望を要求し、実現させていくのも悪いことではない
本当に必要とされる困っていることを解決することもあるだろう
しかしなんでもかんでも要求する社会にしてはいけないのではないか
要求すべてを実現させていけば必ずバランスを欠いてしまう
少しくらい不自由であるくらいが、何もかも不自由感じなく生きていられる
それくらいでちょうどバランスはとれてくるのだろうと思う