大晦日のガキ使の笑ってはいけない、ですが
今年はトレジャーハンターだそうですね
個人的にはダウンタウン世代なのでお笑いと「やってはいけない」ことの
線引きは彼ら同様に心得ているつもりなので
昨今のクレームの仕方はお笑いにあまり触れてこなかった人たちにしたら
まぁ、わからなくもないけどというレベルのものです
その人たちも自分の視点や解釈で見ているのでそうなってしまいがちですね
しかし、何について笑っているのか?という視点でみると
少し見えていない部分があるのかなと
気づいていない部分があるのかなとも思います
いじめられてる状況を笑っている、いじめられてる人を笑っている
そういう構図とこれは違うし
暴力をしてそれを見て、暴力を肯定して笑っているのとも構図は少し違います
彼らのお笑いはガキ使のトークでもわかるのですが
話のテーマがあって状況を描写しながら
シチュエーションをお客さんや視聴者と共有するところから
始まりますよね
視聴者も同じ状況を想像しながら見ていると思うんですが
頭のなかにその状況が浮かんできているはずです
そういう状況のなかで「通常は」しないような行動やハプニングがあって
そのギャップに笑いが生まれるんですよね
巧みな心理描写もあり、ついついそうしてしまうことや
その状況が生み出す不自然な態度、言葉に驚きとともに笑いが生まれる
「えええっ!?いまそれするの?」
ってニュアンスもその受け止め方のひとつなんです
あまり本人たちはこういうことを言わずに
受け手にこうみてほしいということは伝えないし
伝えることが「サブい」ことだと思ってるはずなので
それを言っちゃおしまいだよというスタンスでしょう
こうこうこうなので、これがフリになっててここで落としてるんですと
解説してあげることは、私たち受け手にもつまらなくさせてしまう
笑えなくなっている人がいるのは、受け手の感じ方の問題なんです
受け手の感性や想像力、発想がついてきていないのが原因なんです
もちろん、感じ方はそれぞれです
みんなが等しく笑う、誰も傷つかないものなんてそうそう作れません
ひとつの状況だけ取り上げて批判するのは可能で
そこだけみれば、いじめや暴力だともいえる
お笑いに限らずなんでもそうなんですが、自分の非や未熟さを棚に上げて
自分が不愉快にさせられた、自分が嫌な状況になった
だから腹が立つ、自分をとことん可愛がり他人をとことん責めたてる
この思考のスイッチが入る人間が増えてしまってるんですよね
モノの見方はその時点のあなた自身の感じ方であって
必ずしもあなた自身がその時点で正しい判断をしている「とは限らない」
いろんな経験をしてその先まで理解している人が感じるところまでいけば
また違った感じ方を本人もするかもしれないんですよね
瞬間的に批判するのは、少し作り手や相手の視野のひろがりの大きさへの
配慮が足りないのではないでしょうか
批判する側は自分が一番わかってる「つもり」で判断している
そんな感覚でいる人が多いのかもしれません
「笑ってもいけない」世の中にならないよう
もう少し寛容に、もう少し別の視点でモノゴトをみてみる
そういう社会を取り戻せたらいいのになぁと思います