スマホにおどらされる人々をみると人間ここまできたか

と悪い意味で嘆きたくなりますね

スマホで叶える未来はどうしようもなく

こらえ性のない人間ばかりになります



ツールとして適度な距離感を主体的にもてなければ

知らず知らずのうちに喰われてしまいますよ

もう許せないことたくさんあるでしょう?

小さい頃からスマホに触れることは

IT技術に触れまくるのは

どうなんでしょうかね



小さい頃にはもっと不便さを体験させることが必要かもしれませんね

なんでも便利に過ごせる退屈しない世の中・・・

我が子の可愛さゆえ、あるいは親自身が面倒なことを避けたい

それで大丈夫でしょうか?

大人になってから我が子が不便さに直面した場合を想像してみてください

社会は確実に増加した挫折する人間が手に負えなくなって嘆きますよ



いまでさえ既にその影響が出ているでしょう

受験戦争や就職氷河期、非正規問題・・・

挫折を余儀なくされたと感じる世代が

確実にくすぶったままこれから老いていきます



置き去りにして外国人を安く使う果てに何が待ってるでしょうか

社会からこぼれた「育ちそびれた」人財は

自分のチカラで立ち上がるほかないのだろうと思います

その過程では傷つけられようが足蹴にされようが

立ち上がり歯を食いしばるたくましさが不可欠なんです



なんでも叶える社会で頭ひとつ抜け出すために必要なこと

それはみんなと同じ環境を与えてはダメなんだろうと感じること

意識的にその違いをつくりだす感覚をもてなければいけない

そうしないといまの40代を中心とした

「育ちそびれた」世代よりも、挫折を小さい頃から免疫のない

いまの若者は時代の変化に対応できるのでしょうか

景気に恐ろしいほど振り回され、ないがしろにしてしまった社会の過ちは

不測の事態がおきることによって

同じように、おそらく繰り返されると思います




成長し続けた過去の時代は不便さを小さい頃に体験しながら

大人になるにつれて成長していく社会と歩を合わせることができ

社会もそれに応え、利便性も享受して快適な生活を手に入れてきました

人生の成功を貧乏や不便なマイナスから日本の発展とともに

プラスへと転換させられた

ある意味ではしあわせな世代であるといえるでしょうね



しあわせな世代以上の人たちには

この社会へのケジメをつける責任がまだ残されている

社会のために尽力し続けることを忘れないでほしい

そこを徹底的に掘り起こす仕掛けをつくっていきたいと考えています