某国技での暴力事件が再度注目を集めているなかで
指導するということ、しつけすること、暴力をふるうこと
これらのはざまでどのような解決案があるのだろうか
人間は叱られずに自分で自分を律して成長していくことは
大変難しいことだと思います
人間が常に喜怒哀楽をコントロールして最善の選択をする
これっていくら時代が進んでも不可能ではないだろうか
この条件を満たすのは、もはや人間ではない
機械であり、AIであろうと思う
人間ってそんなんでいいのかね(笑)
なんでも叶えるとなんでも許せなくなる
矛盾しているようで的を射ている表現だなと思いますね
私たちが生きている間に解決できるのでしょうか
本質的な解決ができずに、もう数十年経過してるような気がしますが
年を追うごとにこれも複雑な社会問題になってきています
ワタクシ自身は痛みと言葉が程よくバランスがとれた社会が
ベストだと思いますね、賛否あると思いますが
痛みとは、他人から受ける痛みと失敗による自分で受ける痛み
どちらも気づきの側面があることに目を向けることです
なにより言いつけるのではなく、負けてたまるかと
奮起するこころを持てるように育てていくことだと思います
どんなに便利になったって暴力もいじめもなくなりはしません
全部正そうとすることが全体を窮屈にしていく
〇〇するな!だけで終わってる意見はもう無力極まりない
〇〇されたけど、負けるな!乗り越えるんだ、がんばれ!
そう励まして、話を聞いてあげること、支えてあげることのほうが
加害する側にも成長となる気づきを与えるんだろうと思いますね
〇〇してはいけない
ってスタンスは〇〇している側の人のはけ口が他に向かうだけ
思うようにいかないのは当たり前、上には上がいるのも当たり前
このまま窮屈な道を進むより、加害者も被害者もなんらかの形で
発想の転換をしていくほうが全体のバランスは確実にとれるはずです