念を押すという行為自体をどの間柄でも

うとましく思う傾向が近年はありますが

この行為自体が念を、押された側だけでなく

押す側も勇気がいる、躊躇させてしまう時代になってしまった



念を押すとはそもそもが、その人が伝えたい気持ちであり

その人のいま、それまでに思ったこころや相手を考える気持ちである

ワタクシ自身も小さい頃や大きくなったいまでさえ

親に念を押されることはあります

特に家族のような近い関係においては、やはりたとえ気分を害してしまうとしても

大事だと思うことは、念を押すべきなんだと経験上思うのです

実は、念を押されて口では「わかってるよ!」といってる場合でも

言われたことで忘れていた思いに気づくこともあるのですから



家族以外のほうが面倒くさがられることが多い

念を押される側もわかっているから言われたくないという感情が

一時的には強いものの、時間の経過とともに

素直になり腑に落ちる部分も出てくるものです

それと同時に何度も念を押されると心のどこかに残り

つめあとのように心のどこかに引っ掛かりをおぼえます



何か重要な局面において、念を押すということは

それだけ大事なことであるということ

それを理解できていれば「言われなくてもわかっている」という

反発を抑えてまで聞き入れていくべきことだとも思うのです



現代社会においては、わかっているだろうけど言わなきゃいけないこと

これをあきらめてしまってはいないだろうか?

そこで互いに嫌な気持ちになったり、気分を悪くさせてしまうのではないかと



ほんのひとときの一瞬の傷つきであるのに

その傷つきを極端に恐れてはいないだろうか

その傷つきは時間の経過や冷静になって考えれば考えるほど

素直に受け止められる部分が頭をもたげてくるのです

場合によっては、わかっていたつもりでも

あらためて思い出させてくれることもあるのです



その当初の一瞬の傷つきは、形を変えて

あなた自身の気づきとなるのではないでしょうか