嫌なものを排除していく社会全体の傾向について

少し考えてみたいと思います



嫌なもの、これは瞬間的な嫌なもの

継続してきた積み重ねの嫌なもの

本来嫌ではなかったが年月を経るにつれて嫌になったもの

などなどたくさんのケースがあるようです



嫌なモノもコトも、生きていくなかで我慢したことは当然あると思います

我慢を字解きしてみますと

我(われ・ガ)と慢(マン)ということになります



我とは…自分、自分の意識、自分の言い分を通して人の意見に従わない

慢とは…心が緩む、ダラダラと進行がゆるやかなどです

我慢とは…耐える、辛抱するとともに、我意を張ること、強情などもあるのですね



さらにはお寺さんのいわゆる仏語では

「我に執着して、よりどころとする心から、自分を偉いと思って

おごり、他人をあなどるようなこと」というような意味もあるそうです(笑)

我満、なんて変換もでてきます

文字通りワレを満たす、自分を満足させるということでしょうか?



一度立ち止まり、嫌だと思う気持ちを見つめなおすのは

実は大事なことかもしれません

それをガマンするのは本当に自分だけが被害者で辛抱すべきことなのか

逆に自分の思うままに、我を通すことになってしまってやしないか



いろいろと考えさせられる言葉ですね