叱咤激励のソノサキを知っている、経験をしている人の言葉を
まずはいったん、受け止めてみてもよいのでは?を探る
叱咤激励をする意味、した後のソノサキ
これは経験してみないことには実感できない世界です
ソノサキを知らない側の人にとっては、自身の思いやイメージを
一時的に否定されてしまうことになるが、時間を経て
それ以降のさまざまな経験をしてたどり着いたソノサキで
ようやくその叱咤激励の意味を知ることになる
たしかにホメてもらうことは悪い気はしない
しかし、叱られること、否定されることは
一時的にいやな気持ちになってしまう
いやな思いをしたくないと親も本人も困難から回避させた世代には
受け止めるのもツライと感じるものなんでしょう
叱咤激励する側にとっても、ことばのかけ方が非常に難しくなって
逆に気を遣うというジレンマに陥っている人も多い
する側にもいろいろと探せば粗があるとはいえ、経験の浅い人が
叱咤激励を受け止めることが大事であることに変わりはないのである
お客さんとして、過剰なほどにサービス提供を小さい頃から受けてきた
それが当たり前の時代に育った人間にとっては
少し面食らうことや受け入れにくいことなのは間違いない
この世代を責めるにはいかようにも理由付けできる
しかし、この世代の環境を形づくってきたのはオトナ世代なのである
ひとむかし前は成立していたのが
「嘘だと思って〇〇してみなさい、やってみればわかるから」
これが理論的でないとケチをつけて逃げて、受け入れられずに
現状の構図が成り立っているなら、いっそのこと
「嘘だと思わないで〇〇してみなさい、やってみれば変わるから」
って言ってみればいいのですよね
言われるのがイヤで育った人格形成の過去はもう変えようがない
でもどうせ事態が好転しないのなら、何も変わらないのならば
言われる側も一度、試しに受け入れてみる工夫をするのもよいのではと思います