あれを書こうと決めてから書こうとすると

違うこともフッと降りてくるので

書きたいことと、伝わることの乖離が大きくなる



伝わるように書く、話すというのももちろん大事ですが

論点が伝わらないで、もどかしい思いをしてる相手に

言いたいことを推測しながら、もしかしてこういうこと?って

手を差し伸べるのにもあこがれます(笑)



それができるくらいの人になりたいなと改めて思いますね

最近は文字での伝達が増えすぎているため

対面でこそわかるナマの声やトーン、しぐさなどで感情を伝えづらい人や

そのシグナルを感じれない、気づきができない人が増えてるのかなとも思います



やはり人間は他人とじかにふれあい、話して、泣いて笑ってけんかして

大事な情緒を育てていかなきゃならんのだろうと思います

そこで失敗したっていいのです、経験してこなかったんだから



いろんな情報端末を使いこなし、その楽しさを共有するのも

そのうち飽きがくるでしょうね

つぎはリアルなほうを、めんどくささを逆に求めるような人間も

現れるのではと思います



自然のなかで過ごしたり、デジタル環境をグレードダウンさせてみたり

モノや情報が溢れかえる世界から脱出したい願望

社会全体として、これを満たしにくる時代がすぐそこまで来ている



モノからコトへの時代になっていくとあちこちで言われていますが

そうなると「コト」に対してお金を払う価値があるものが求められ始める

そこからの逆算での勝負ですね、社労士として肩書を利用するならばね



なにかをしてあげることを商品として売る

ここから脱出して

なにかを本人がしたいことをいっしょにつくり上げる

これが商品になっていく

そこにお金を支払うだけの価値があるのであれば、のはなしですが(笑)