最近話題になった某市長のコラム盗用問題ですが
あれはどうだろうか、波風立てて謝罪に追い込む心理は異常な感じもするが
他人のものを!という意識と正義感と攻撃性がなせるワザでしょうね
昔の人と違うのはそこに対しての排除欲求が高い、許さないという感情
それに対する世間の肯定する評価が出てきたからでしょう
どんどん悪を排除し、キレイにキレイにしようとします
少し汚れたくらいで騒ぐのは粋ではないよなぁと思いますが(笑)
それだけストレス社会の影響が出てるのだなと感じます
ワタクシは極力、自分のアタマで考えたことを書くように意識しています
もちろん本も読みますが、書き抜きしてそのまま書こうとは思わないですね
自分がインプット過多な人間になりたくないぶん、余計な情報を入れるのを嫌い
知識に頼ると自分の思考の引き出しが錆びつく、と考えているからです
まず自分で思考して自分なりの言葉で書き出してみて、こうではないか?
という結論を出して、そのあと関連する本などを読むという順番
不思議なもんで自分の出した結論と比較しながら読んだりしてると
自然と自分のアウトプットした結論を軸にして比較するようになるのです
実は、この自分の思考の軸がメインで存在していることが大事であって
本やチマタにあふれる情報はあくまでの補足的な扱いにとどめておく
これを意識していないと、どんどん情報に知らず知らず飲み込まれてしまいます
これを危惧しているからこそ、知識を入れない工夫と自分で思考する環境を
意識的につくるようにしています(適度なアナログ環境)
誰かの言葉は結局は受け売りであり、誰かの結論
情報を自分のなかに入れるとしても、初めて見た聞いたという感覚を
極力避けることが大事なことだと感じています
既に情報過多の環境や機械とズブズブの関係にある現代人には
もう手遅れかもしれないですね