自分がアウトプットに割く時間が増えたことで
少しずつ自分で思考するという引き出しが開けやすくなった
スムーズに降りて来やすくなった、そんな感じがします
ひところは最新の法改正を勉強しなきゃとか、実務について身につけていかなきゃ
とか思ってたころが懐かしく感じますね
自分はその路線を断って別のルートで開拓していくと決めているので
いま思うのはムダにインプットする必要性が相対的に低くなった
ということになるんでしょうか
インプットの感覚というのは資格や学校の勉強である程度は
刷り込みされて違和感がなくなるのものですが
いざ、自分のなかにある発想を引き出して考えるという作業においては
なんの役にも立たないことが多いのです
勉強して問題解いて、の解いてがアウトプットじゃないか?
そう思ってた時期もありましたがこれも実は狭い意味でのアウトプットで
本当のアウトプットではないのではないかと感じますね
提示された問題ありきの状態で引き出してくるのは刷り込んだ知識の話で
自分でまったく新しい解決方法を持ち出してくるのとは違います
この本来のアウトプットというのはいろいろと書籍も出ていますが
あえて見ないというスタンスをとってどこまで思考できるのか?
こういうトライも自分的にはおもしろいと思うのです
著名な人が解説し、それを読み理解してアウトプットの方法を知る
それは広い意味では、アウトプットの仕方のインプットであり
少しばかり違和感をおぼえてしまう
ひねくれものの論理であると思いますが、わからないでもない心理です
わたしたちはこれまで、もう十分なインプットをしています
既に脳は飽和状態なのかもしれませんよ?
既にある知識や経験を言葉にしてアウトプットするという作業は
なんの教育をしてもらわなくてもアドバイスがなくてもできるはずなんです
しかし、インプットに慣れてしまったわたしたちは
わからないと慌てて解決したがり、ネット検索してしまいます
でも考えてみてください、ネットが無い時代は
みんな、なんだっけなぁと思案しながら、目を閉じて眉間にシワ寄せて
ひねりだそうとしてたのではないか?
そのひねりだしに成功した経験は誰でもあるはずです
自然なアウトプット体験は実は自分の感覚でできていたんです
そのアナログ路線へ寄り道することは、絶対に必要になっていくでしょう
デジタル慣れした人間は途端に思考力を失い、引き出し方がわからなくなる
便利はいいが、それはいつも必ず使う必要のない、便利さである
最終的にダメなら最後の手段で便利さに戻せばいい
たまに不便を味わい、自分の引き出しの潜在能力に賭けてみるのも一考です
そうすることで違った視点やみちすじが見えてくる
すると一択しかないと思われていたものにも、別の考え方があると感じると思います