どうもわたしたち日本人はあれが正しい、素晴らしいとなると
同じ方向に群がる習性があるように感じますね
悪くはないんですが、つまらないと感じるのはワタクシだけではないはず
全体的として異質であることを選ぶのは、もはや変態扱いです(笑)
同質であることに安堵し、同調を知らず知らずのうちに相手にも求める
そのくせ、多様性を認めよう!と必死になり、理解しない人に対しても
同じ構図で同調を求めてきますね、なぜ認めないの?と
どっちに振り切った針も結末はおんなじなんです(笑)
異質を排除する意味では両者は同じ構図でしかないんですよね
ワタクシは中間に立つことを推奨したいのです
中間に位置取りするとは中立的なスタンスに立つということか?
なんて深く考えなくていいんです
それこそ考えすぎのワナです
中間に立つというのは、両サイドの端っこの地点と決めたところ、以外でもいい
カンタンでしょ?両はじ以外は言ってみれば中間なんです(笑)
通常は両サイドからのちょうど真ん中をイメージするのが普通ですね
でも、ワタクシはそこで少し考えてみたんです
ど真ん中だけが中間ではないなと
つまりは中間でいること、とは決して両者からちょうど同じ距離をとった
中間でなくてもよいのです
こっちの言い分もわかるけど全部が全部賛成ではないなぁ、とか
両方わかるにはわかるけどどっちでもなくたっていいと思う、とかね
なんなら両方のこと、知らなくたって別にいいのですよ
知らなきゃいけないと思わされてるだけなので
知らずにいたって、間違っていたって生きていけます
世の中、情報が個人単位では処理しきれないほど溢れかえっています
日本人は教育の関係上、教えられること、知識を得るインプットを好む傾向で
知識欲みたいなものを満たそう満たそうとする
実は何かタスクを与えられてそのなかで条件を制限されながらも
不平不満を吐き出しバランスをとって受け身姿勢で作業するのが案外ここちよい
そういう人間を生み出してきた歴史があるなあと感じますね
みなさんもどこかで正しさを疑りながら流れに引っ張られない生活をしてみては?