古い記憶や古い考え方というのはいまを生きる人々にとって

どのような存在になっているのでしょうか

年齢を重ねた人々の記憶のなかにある体験や過ごした日々から得た教訓などは

いまの若い人には「知られていない」というだけであって

必ずしもすべて否定してしまう考え方ではありません



人の記憶はあいまいであり、正しくないかもしれません

都合よく解釈してそれが正しいと思っていたのかもしれません

しかし、人の記憶はその生きてきた軌跡であり、その経験の蓄積である

若い人や未来の人に伝えるのは偉い人たちの文献だけでいいのでしょうか

わたしたち、ごく一般的な人間であっても伝えていくべき

こころの思いがあってもいいのではないでしょうか



伝えること、それは失敗したことで間違っていたと反省したことであっても

伝えるべきことであると感じます

つまりこれから先を生きていくうえで、失敗をしたくないというのであれば

やはり失敗を経験した人たちのことばから学ぶべきものがある

と考えてもいいのではと思うのです

もちろん、失敗を経験して初めて知ることの重要性もあります



20代ならば、それまでの人生の経験でしか語れない

ネットに転がる情報も不確かなものもあり、絶対正しいとはいえない

40代ならば、自ら過ごした20代、30代とを振り返り

たどった道をこれから歩む20代の人に話せることがたくさんあるでしょう

60代なら同様に考えればさらに40代、50代をどう生きてきたか

話せることがあるはずなのです



自分もそうでしたが若いと、やはり素直に聞く耳を持てません

しかしそれは「なんかいやだ、かっこ悪い」的な少し表面的な感情で

絶対に聞きたくないという感覚ではなかったのはたしかです

いまの上の世代にいる人たちでさえ、自身が若い当時に上の世代の人から

言われるのは嫌だったはずです



それでも当時の上の世代の人たちは叱ることや教えることをためらわなかった

時代がそうだといえばそれまでですが

当時の上の世代がためらいもなく伝え続けたのはそれが大事な教訓だと

肌で感じて知っているからである

同じように若い頃、上の世代の人に叱られたり教えられたりした経験があり

それを次の世代にも伝えていくべきだと

こころの底から思っていたからであると思います



振り返って、どうでしょうかいまの私たち上の世代と言われる人は?

いろいろと遠慮してしまいがちになっていないでしょうか

わたしたちに伝えてくれた上の世代のように

どんなに嫌われても、うとましがられてもかまわずに

伝えていくべきことがあるのではないでしょうか?