知識を入れすぎずに自分のアタマで思考してみるという
ひとつのステップを好んで自分に課しているのですが
「しこう」という言葉にもいろいろ日本語は意味がありますね
指向~事物がある方向に向く(限定的、客観的)
志向~心がある目的に向かう(一般的、主観的)
他にも、試行、施行、嗜好、至高、歯垢なんてのもあります、笑
思考して物事を考えることによって、事物が向かう方向で考える
思考してココロが向かう方向で考える、それを試してみる
それを好んでたしなむ、いつしか法律として世に広まる
さすがに歯クソはどうにもこじつけられませんが(笑)
考える時間的な余裕もなくなってきている現代においては
なんでも効率化、短縮化という流れのなかで生きている
時間の流れのスピードが加速しすぎなところがあります
列車も人を乗せ、早く安全に移動するなかで快適に過ごすのを志向する
それもいいのですが、以前はもう少し車窓から緩やかに流れる景色に
もの思いにふけったり、いろいろと街並みや原風景のようなものに
こころをはせてみたり、ふと現れるトンネルの中での車窓に映る自分の姿に
なにか感じる機会をくれたりしたものでした
考えるひとときに自分自身をおくことも大事なことではないか?
いまの世の中は過剰なインプットであふれてしまっています
キャパオーバーになるほど情報をあふれさせていますね
思考に身も心もゆだねるような環境は周囲から失われてしまっていませんか
知識や正解をただ受け止め、それにならい、ととのえて生活していく
みずから思考するというステップはその流れに逆らうように
自分自身でつくりださなければいけない環境になってしまいました
皮肉なもんですね
人間が利便性を求めて、環境のさらなるバージョンアップをすればするほど
人間は思考を捨てて、知識偏重になり
思考する能力を失ってしまう、高める機会すら失われてしまう
思考を放棄して、知識偏重になるということは
正解を知らなければなんら行動できない
そこで立ち止まって思考停止してしまう人間もうまれてしまう
社会で挫折する若者や、挫折や困難を回避してしまい(親も回避させる)
成長の機会を上の世代ほど体験できないまま社会に出る
そういう社会をうんでしまったことは時代の流れ上、しかたないこと
そうなのかもしれないが
若者が不甲斐ないと感じてしまう原因の一端は
それを許し、ビジネスのため利便性を追求して生産活動をして
時代をつくってきた社会を生んだオトナたちの責任でもある
オトナたちはこの世から旅立つ前に、次の世代の未来のために
キチンとこころのなかの知恵や経験を伝えなければなりません
それがオトナたちにできる責任であると考えています