気づきってのは人の能力を左右するもんだと思います

他人が自分を評価すること、自分が他人を評価すること

それぞれ視点が異なることで見解すら異なる結果になり

意見をすり合わせることが難しい原因になったりもします



気づきって何を指して、気づきというのか

これは他人からサイレンとして警鐘を鳴らされて、言われて気づくものと

他人はサイレンスで沈黙や無言であるけれど、感じ取って自分で気づくもの

どちらもあると思うのです

我ながら見事な表現ですね~(笑)



それはいいとして

気づくということは、それが他人にとっても適切であれば

気が利くね、というプラスの評価を他人がしてくれたりします

しかし、気づきが他人にとって適切でなければ考えすぎ、神経質すぎと

他人はなんとなく、マイナスの評価をしてしまうのです

これはこれでものすごく興味深いなと思いますね



気づきを得るには大部分はそれまでの経験がベースになる

しかし、経験以外であっても方法はないものかと考えをめぐらすと

思考する、想定するという行為が補うのではないかと思っています



ワタクシ自身も考えすぎ、神経質すぎと言われたこともあります(笑)

しかし、自分ではそうだなぁと自覚して、弱点と認めつつも

でも逆に他人と違う視点をつくれる才能だとポジティブにとらえています

強がりでもなんでもなく、自分の能力を信じています

誰にも言わないですけどね、そんな自己評価を他人にしても

最初に書いたように視点が異なります(笑)



気づきをことばで表現して他人と共有し、共感できること

これが一番の願いであり、自分にできること、やるべきことです

いろいろ紙一重ですよ、物事ってのは

思うように進めたい欲が出るとボロが出たりするし

かといって進めないまま押し黙っていたって進まない



しかし何事も自分のできる範囲からまずは一歩一歩

続けていくことでカタチがあらわれ、他人にも同じ景色として

見えるようなカタチになっていくのではないかと思います



(注)これはいまはいい文章と思っているが明日以降みるとサブイことに

なってる予感ありありだな・・・