引き続き「人を大切にする」とはなんぞや?を考える
事業主や社労士が必死にやらせようとしたって結果的にムダなことは
ほとんどの事業が知っている、抱えている悩みでもあるはずです
それは労働者がやる気になっていないからであって
結果的に新しいことであっても、同じようなやり方を踏襲しているだけだからです
同じようなやり方をなぜしてしまうか?
それはコンサルのようにひとつのビジネスのプランを提供され
アドバイスされることを受け身でやっているからにほかならないからです
コンサル的なものはその手法が商品であって
わたしたちに「おまかせください」ってなります
任せるということは、その時点でこころのどこかで主体性を失ってしまいます
いま、主体性のない行為を受け入れる土壌がほぼなくなってしまったのは
インターネットやSNSの登場、技術の進歩による社会の変容が原因です
少しずつですが、「文句言ってもいいんだ」という流れができてきて
世の中が利便性を追求し、それが実現されて快適な日常環境が整い始めると
普段自分がやりたいようにできている環境が常識となり
その常識の基準をずらしてしまうようなことを不快に感じるようになっていく
昨今の人間の権利主張の激しさ、正当性を求める風潮、悪を徹底的にたたく社会全体
この原因は自分が都合よく、合理的に過ごす、快適な環境を整えすぎてしまったから
という見方にたつこともできるんではないでしょうか
だとすれば、これまでのような労務管理や労務相談のやり方は
もはや通用しないということになっても、なんら不思議ではないのです
それを延々と同じパターンを繰り返すことこそ、愚の骨頂ではないか?
「押してダメなら引いてみろ」という言葉がありますが
そのイメージがこれからの時代に必要なスタンスであると確信しています
ここでいう「押す」という行為は、上から降ろしてくるインプットの情報や意見で
「引く」というのは、こちらから正解を提供するのではなくて
当事者が主体性をもって自分の中からアウトプットして形づくっていくこと
自分たちで話し合い、意見を出し合いながら知恵を働かせる
もとより、第三者のものではなくて自分たちの職場でありホームグラウンドです
いまの状況で、考えて知恵を出して職場環境を自分たちの手で整える
これこそが、未来を形づくるための大事な視点です
わたしたち現代人はインプット過多になりすぎてしまって、慣れすぎてしまって
どこまでいってもバージョンアップされたインプットを「提供されてしまう」
しかし、いま必要なのはインプットではなくアウトプットです
自分の経験や知恵を腹のなかでため込みすぎても外に出さないと役に立ちません
「人を大切にする」とはまずは自分の腹のなかにある経験や知恵から
もう一度、自分や他人をみつめなおすことから始まってほしいのです
誰かに教えられるのではなく、自ら考える、言葉に出してみる
そのアウトプットの繰り返しによって違う景色が浮かび上がってくるはずです
アウトプットによって共有できた意識は、その人数の何倍もの効果
つまり、政府の目指すところの「生産性の向上」へとつながるはずです
人の欠点をたたく前に、自身の腹をたたいてガス抜きしてみてはいかがでしょう
便利になったからこそ、簡略化せずに手間暇をかけることのあたたかみも
こだわった商品が売れること、こだわった店が繁盛することからも
人間がどこかで欲していることであると感じます
少子高齢化によって働く人々が未来のためにできること
自分たちで考えて形づくってみることが必要ではないでしょうか
ひたすらインプットをする人生よりもあえてインプットせず
自らのアウトプットによって切り拓いていくキッカケもそこにはある
頭打ちの現代だからこそ、少し時間を戻してみるのも
大事な感覚だと思います