考え方が変化するとはどういうことか?

アタマやココロのなかで何が起こっているんでしょうか

通常、人間は「こうしなければならない」を選択する

「決められている」や「正しい解釈」の基準から

選択することに違和感を感じないものです

だってルールだから・・・というようなことです



「こうしなければならない」に疑問や反論のスタンスをとること

このとき生まれるのが新しい発想であると考えます

新しい発想のための状況を意図的につくり出すことが

実は、考え方の変化へのスイッチではないかと



変化にはリスクが伴うことは想定内

だからこそ、そのリスクを回避しようとする心理がはたらき

結果として、何も変わらない、変えないというところへ戻ってきます

変化→回避→元のレール

こういう思考パターンから意図的にハズレてみるのもおもしろいはずです



変化によって突破口をみつけたい、こじ開けたいのであれば

誰もが本当の意味で、変化を受け入れるスタンスをとってみること

「変化をしなければならない」と心のどこかでその気持ちがあっても

「じゃあ、どうするの?」「じゃあ、やってみれば?」で立ち止まる

解決案を人任せにして、出してきたら批評し乗るか乗らないかを決める

このあたりの上っ面の変化の受け入れは誰しも経験したり、共感できるところ



そのオモリはことのほか重くてなかなか動かしづらい岩のように鎮座してます

それは上司であったり、組織全体であったりもします

変化を受け入れるということは、変化を批評して決めることではありません

「じゃあ、どうするの?」「じゃあ、やってみれば?」は

変化→回避→元のレールの構図へ戻すことそのものの発想でしょう

この言葉を投げかけた瞬間に回避が始まっているのです



これまでも長く体質が変わらない世界ではこの延々ループが蔓延してしまって

育たない、動けないという閉塞感を生み出しているのではないか

大事な感覚としては、普段とらない選択をあえてする、逆に選択すること

「じゃあ、やってみよう」というシミュレーションをしてみること

この選択をすることで何が変わるかシミュレーションしてみる



そして大事なことは目指す最終的な成果を決めずに進めていくこと

普段は取るはずのない選択をして、どこまでレールが伸ばせるか試すことが

まだ見ぬ発想やアイデア、各人のアウトプットにつながっていく

仮定のレールを敷いてどこまで伸びるか話し合う機会が必要なんだと思います



言ってもムダと断定してることを解きほぐすように

断片的なアイデアから一緒に乗って枝葉を伸ばしてみるように

成果としての結果を必ずしも求めない開放感を与えて

話しながら各自が手を動かして書き出してみる、自分のアイデアを乗せてみる

こういう作業によって自分たちが主体的に展開していくおもしろさ

自発的に取り組む変化の気持ちが生まれて、化学反応を起こしていく



そんな動きが出始めるとなにかが変わり始める

これまで否定して選択してこなかったけど

じゃあ、選択してみたらどうなるのか一回やってみるか

ダメならダメでいいや、くらいの軽い気持ち



みんな食わないで捨てたところだけど、食ってみたら美味しかった

太古の昔に、人類が歩んできた歴史とおんなじことですよね(笑)

実はこれも食えるんじゃねーの?って口に含んで味わってみてください

死ぬこともありますが、それもまた人類の歴史で大事な発見です(笑)