必要以上に悪を恐れる社会はどうなんでしょうね
うまく言えませんが善と悪が奇妙にバランスとりながら
たまに悪が顔をのぞかせるけど諭すようにして許してあげられる
悪は許してくれたことによって、少しやさしさを取り戻すように
こうべを垂れるようなことも、こころを入れかえるようなことも
あるのだと思います、ちょっと素直じゃなかったりするだけでね
正しいやさしさだけを強要して、悪をすべて弾劾するような社会へ
ひたすら突き進んでいくことは正解にたどりつくことができるのでしょうか?
悪には少し純粋な善が残ってるような気がします
純度100%の悪ではないんですが、社会が完全に悪と決めつけることで
本人も純度100%の悪を受け止めざるをえない状況になり
善への退路を断つのではないでしょうか
ひとりひとりの気持ちに事情があり、歴史があり、人生が見え隠れします
そこを感じ取れるオトナがいた社会がかつての日本にはあったと感じます
悪と対峙したとしても、自分の事情はさておき
相手にまだ頑張れるよ、あやまってもう一回やり直そうよと励まして
声をかけてあげることで、実は救われた
そんな善を取り戻した悪もいたのかもしれません
顔がみえない社会を構築していって、そのなかで生きて判断していくように
もう四半世紀以上、25年くらいはそんな時代に人間を合わせていってます
自己判断、自己責任が追求されて、他人に立ち寄らせない壁をつくり
他人に余計な気を遣わせない社会、余計なことをしてはいけない社会へ変化しました
機械仕掛けのにんげんさまは、どこへ向かうのでしょうか