ちいさい頃に自分の印象に残っていたイメージってのは
なかなかなもんで、自分のなかで深くまで刻み込まれていますね
昔のイメージのまま、あんな元気で豪快だった親戚の人が年月を経て
老いてゆくことも、なんとも言い難い寂しさに駆られてしまいます
セピアがかった思い出はキレイに輝きをいつまでも放ちますが
その子の世代へと受け継がれる人生の教訓や叱咤されたひとことも
こころの中でキチンと指定席が割り振られ、ずっと居続けています
いまは写真や動画など視覚に訴えるものが幅を利かせてる時代ですが
でも逆にどうでしょうか?
こころのなかで息づいているのはもっとアナログな自分が受けた
ことばや痛みではないでしょうか?
涙を流して悲しんだこと
悪いことして叩かれたり、叱られたりしたこと
迷ったときにふと励ましてくれたこと
こころのなかにしまってある大事な思いや記憶は
知恵袋的な役割になり、ふと我に立ち返るときや初心にかえるとき
ちゃんとこころのなかで見守ってくれていると感じます
わたしたちはおそらく近い将来、災害や有事の発生などによって
なにもかもが機能しない状況に放り込まれることも想定しなければなりません
すでになにもかも取得できる情報端末や利便性であふれた生活に
慣れすぎてしまっていますね
待つことに耐えられず、イライラして暴発してしまう
思うようにいかないことに対しての耐性も低くなってしまっています
スマホの充電に群がるのも、被害状況を撮ることに夢中になってるのも
現代の象徴でしょうね
しかしちょっと待てよと
一歩引いて、少し昔に自分を戻して
こころのなかの知恵袋を取り出してみることも大事なことではないか
困ってる人を助け、手を差し伸べて
少しでも寄り添う気持ちが互いに感じられる距離感を取り戻すこと
災害時だけでなく、普段の生活すべてにおいていえることだと思います
セピア色の知恵袋を自分たちも引き継いで、次の世代へ伝えること
そういう言葉が集まってくるような活動を展開していくことを
いまいろいろと思案しています