本を先に読んでしまうとその情報を取り入れてしまうことに
少しばかりの悔しさが自分のなかに残ります
自分のなかで同じテーマで考えて、こうなのではないかと思い巡らせた上で
同じテーマについての本を読んだりするようにしています
このブログで書いたことも基本的にはそのやり方で後追いで読んでいます
自分の感覚ですが、最初に稼ぎ方やその手の本を読もうとしましたが
すぐには読まないほうが賢明だと自分のなかの計算ではじき出しました
それはなぜか?
社労士であれば、その業務全体や周辺について、または労働、ハラスメント、教育
少子高齢化、世代論などさまざまなテーマについてすぐに本を読まずに
そのテーマについて事前に自分で考えることによって導き出せる見解をもつ
それが自分のなかにある状態で、そのテーマについての本を読んでみる
そして、自分の見解にあってるかどうか確認しながら学ぶように
本の意見をすべて認めるのではなく、自分の意見のほうに主体性をおくこと
これが結構大事な感覚だと思っています
自分の意見に主体性をもって話せるかどうか、これが生命線だと思うので
自分の見解「が」本にあってるかではなく
自分の見解「に」本があってるか、なんです
そしてひとりの空間で、声に出してしゃべってみる
お風呂のとき湯船で小声でしゃべるのもいいと思います
自分の声で話し、自分の声や雰囲気になじむまで
それこそアウトプットです
自分のテンポや話し方のポイントも、まずは方法を知らずに試してみること
それが自身の言葉の深みへとつながってくると感じています
いまの世の中は、調べれば正解が出てきます
クリエイティブな発想をする環境には非常に不向きです
情報の環境をあえて後退させてから
自分で考えてみて適応させていくイメージが必要かもしれません
あえて情報を入れないのも自分のひとつの作戦としてやっています
そのほうが他者との違いがつくれそうな気がするので・・・
いわゆる「追いガツオ」ならぬ「追い書物」ですね
言葉が降りてきましたね~、追い書物(笑)
響きがいい、追い本よりも追い書籍よりも
いったん自分のなかでまずはダシをとる感じで
さらに書物によってうまみを加えるイメージ
最初に書物で自分に入れてしまうと、その本のダシしか出ない
自分が最初に言ったテイで書いてます、調べません(笑)
これは本を読む際のひとつの楽しみ方にもなるのかなと思っています