ロジカルシンキングの果てには何が残るのだろう

論理的な思考が正しい方向へ人間を向かわせているのか

デジタルな時代が進めば進むほど自分はその流れの逆を取りたくなる

なぜだろう?単純にあまのじゃくだからか、毛嫌いしてるだけか

おそらく何か危険なニオイを感じ取ってるんだと考える


もちろんデジタルなものに対して年齢的についていくのがしんどい

きっかけを失って乗り遅れたと、そういうことも言えなくもない

いわゆるライン、ツイッター、フェイスブック等のSNSはやらないと決めた自分

何か大事な感覚的なものを失ってしまうのではないかと危惧していたから

発想を変えれば、逆にそれをやらないことで他人が失ったアイデアがひらめく

そんな打算というか狙いもあるにはあるのだが・・・


社労士としての業務だってそれと同じスタンスでやっていきたい性分で

みんなと同じことをやれば大体同じ流れや結論に行き着くんだろうなと

だったらみんな同じじゃつまんねーよと、同じで安心するキャラじゃねーよと

どうも自分のなかに「入れすぎないこと」を望んでるフシがあるようで

知識を入れて、スキルアップする、常に法改正に気を配り情報を仕入れる

それをやったところで他人と差別化がはかれるのか?と思うのである

だったら逆に入れないほうが「おもしろい」「席が空いてる」と思うのである


話を戻すと

おそらくロジカルに、論理的に考えれば考えるほど正しさや正解を追求し

社会が、いろんな状況で失敗が許されない雰囲気で支配されていく予感がある

数値化、データ化、効率的、合理的、正確性・・・

なぜか人間的な魅力が感じられない機械のような無感情、抑揚のなさ

ロジカルはデジタルによって、デジタルもロジカルによって補完する関係なのか

デジタルは冷たい、無感情、クール、スマート・・・妥協を許さない

なんだろう?温かみがないのは気のせいではないと思う


古き良き?時代は人間の持っている資質をあきらめず信じてやり抜く

そんな、けれんみのないひたむきさがあったように感じるのだ

もちろんそういう便利なものがないからこその、ではある

ネットで答えを知ってしまう寂しさ、切なさ、やりきれなさ

やはり自分で考えたいし、できるなら考え抜きたいのですよ・・・

必死こいてミケンにしわ寄せながら目をつぶって思い出そうとしたが

なかなか思い出せない、でもふと思い出した瞬間のうれしさ、爽快感

誰しも経験したことがあるだろうと思う

なんでも検索、便利でいいがその果てには温かい未来はあるのだろうか


デジタルも度がすぎると嫌になり飽きてしまうことで

アナログに揺り戻しするのもいろんな分野で一定数は存在しているし

これからネット疲れ、デジタル疲れになり

アナログな温かみに行き場を求める時代が本格的にくると思う


そんなに急いでどうする?正しすぎてどうする?

これからは一定の「許し」が必要な時代になるべきではないか

そう思う今日なのであった・・・