同一労働同一賃金と日本人の気質について・・・
業務において貢献度を将来的に考える上では
正社員として待遇の安定的な展望を与えるほうが
仕事に対しての意欲が増加するのは言うまでもない
労働者の立場でみると、非正規となるとその将来的な展望が見込めず
働く意欲が湧かない、向上心が湧かないという側面がある
企業側も潰すわけにはいかないから生き延びるためには
非正規のほうで人手が欲しいという理屈もわかる
成長が見込めなくなった時代と不況を乗り切るために
決断せざるをえない打開策だったのだろう
その狭間で仕方なく非正規を選択してきた人の無力感は相当なものがある
意を決して動こうとしてもそのリスクを取るのは賢明でないのもわかる
そういう非正規は労働者全体の1/3にも達するのではないのだろうか
非正規という存在は労働力を機械的に数値化されて徐々に機械にとってかわり
行き場を失ってしまうのだとも予測されている
そういう立場の人を救う意味の同一労働同一賃金なのだろうなとも思う
だが、同一労働同一賃金を実現させるためにはいわゆる職務給が原則として
その前提になければ成立しないといわれている
職務給とは、平たく言えばその業務そのものに対しての評価であり
同じ業務をするのであれば、同じ賃金を支払えという理屈のもととなる
一方で成長時代に日本にフィットしたのは職能給である
職能給とは、平たく言えばその働く人そのものに対する評価であり
それをベースとして様々な業務を経験させながら年功賃金の制度をつくり
家族ができて子供が産まれ想定される費用をサポートする形を制度化してきた
なにかと物入りになる年代にかけて企業も家族のように働く人を思う表の顔と
いろいろ打算が働く裏の顔もあっただろうが、全体として機能してきたのである
しかし、皮肉にも成長時代の終わりと長引く不況によって増加した非正規層が
みないことにしていた企業と正社員の不文律の構図を崩し始めたのではないか
プラスの恩恵を受ける陰には、マイナスを浴びせられる存在が必ずある
法律改正、時代の流れ、ネット社会…すべてを正しくさせようとする流れが
異様な喧騒状態を生んでしまっている気がします
職能給から職務給へ変えるのは思っているほど簡単ではないのだが、政治も
シフトチェンジさせていくことで意識も変えさせようという魂胆なんだろうと
でも日本人の腹の底にある隠し扉にはこう書いてある
「最後は人、人で決める」
これは脈々と受け継がれてきた日本人の気質であり、道徳心なのだと思う
例えば、モノを売るお店で商品が同じだとしても日本人は対応する人の
キャラクターや雰囲気、話し方、トータルのお店の雰囲気がいいか悪いかも
その店長や店員の人となりを評価基準にしているのである
この人だから買いたい、この人のお店だから食べにくるというケースがある
このような職業や業務の向こう側にある人をみて評価する人情的な部分が
確かに存在しているし、良くしてもらうと良くしてあげたいというのが
実は初期設定されているのだと思う
消費者側も、その人情味に仕事や対価といった存在を超えた価値があり
それを潜在的に価値を見出し、評価しているということである
ほっこりする、なごむ、そういう表現しづらい温かい感覚
日本人が自然災害にもめげずに助け合う、譲り合う、手を差し伸べるのは
当たり前の精神に近く、そこに打算的な考えはない、ただのやさしさのカタマリ
そういっても過言ではない
その世界に類をみない日本人の気質をないがしろにするべきではないし
意図的に変えることは容易ではないと思う
ビジネス、ビジネスと自分に言い聞かせ生きていくのは否定しない
しかし、わたしたち日本人の腹の底の隠し扉のカギは開いたままで
お寺や神社のようなたたずまいで息を潜めていつでも、いつまでも待ってくれている