まず、昨日のネタより続きを


働くあなたの日常を想定しながら想像してみる

日常において、働く環境に身をおいた自分自身に起こる

起こりうる出来事、そこにプラスの感覚と

マイナスの感覚でとらえるものを手繰り寄せて想像する

今回はマイナスとはどういう局面でどういう登場の仕方をするか


・自由な時間がない

・こだわって仕事ができない

・周囲とウマが合わない

・考えることも億劫になる

・ニュアンスが伝わらない

・嫌だけど我慢してやってる

・自分の将来が見えない

・怒られないか心配だ

・他人の失敗に自分を重ねて落ち込んだ

・やろうとしてたのに注意された

・ガサツすぎる他人が鼻につく

・言い方がいちいちむかつく


などなど、挙げればキリがないものばかりだが

マイナスの場合は他人の主観と自分の感じ方

または、自分の主観と他人の感じ方がある

おそらくすべての感情は昔の人も大差なかったはず

何が変わったのだろうか

それは便利さや進歩が生活と性格を変えてしまった側面がある


ちょっと待てよ、と立ち止まる時間的なゆとりがなくなった

便利なものに囲まれすぎてスムーズにいかないとストレスがかかる

いまをいきる人たちは昔の人と違って常に新しい課題と直面し続ける

でも、昔だって同じ状況下では、その時点での新しい課題であったはず

だったらどう乗り越えてきたか、あるいは失敗から学ぶべきことは何か

いい意味で、古きをたずねる必要があるはずだ



一方で、社労士50周年という節目で考えても、高度経済成長期を過ごした人

安定成長の恩恵や社会保障の充実を受けた人、失われた30年を味わった人

社会を担う世代はさまざまなバックボーンをもっている

常に社労士はおそらく事業主の味方であり、法律を工夫なく守らせようとし

お金(顧問料等)をもらわない労働者を蚊帳の外に追いやってしまっていた

50年…人々の暮らしの中でインターネットが普及し、SNSが当たり前に

文句を言うことがなかった、実情を知ることがなかった労働者が

知らなかったことを知り、自己の権利の主張を始めた

誰かが思い切って声を上げると、瞬く間にそのうねりがすさまじい

エネルギーとともに、消化しきれないほどの勢いで目覚めだした

それこそこの夏の自然災害のごとく日本列島を徐々に潰していく


労働「環境」(市場ではない)で圧倒的なシェアで、数のチカラを持つのは労働者

最大多数の労働者にいまや上から「させる」だけで通用するはずがない

おそらく既存の組合などを介在させず「自分達が主役で主張する」時代=SNS

この勢力に昔と同じスタンスで事業主寄りで仕事するだけでどうするよ(笑)

労働環境で関与する数パーセントにしか満たない事業主だけが

ビジネスパートナーではない時代がやってくる

AIやクラウドだけでなく、誰にフォーカスするのか

新しい時代の幕開けとともにヒトの専門家を謳う社労士は何処へ舵をきるべきか

10年先、20年先のビジョンを想像して、逆算をしていく発想

考え方や方向性、可能性はパターンとして想定しておくべきだ