発言の真意をくみとろうとしない人が増えてきたのはなぜだろう

言葉のウラにあるくみとってほしい感情や思いに気づけない人が増えてきている

見たものを表面上だけで判断する、便利に親切になった時代がもたらした産物か

便利になり親切になってしまうとそれを受け止める側は、慣れてしまうと

キチンと丁寧に説明しなくては理解が難しく伝わらなくなってしまう

不便な時代の人たちと比較すると、現代人は言葉や行動の真意を読み取ることが

不得意になってしまった感じがする


お笑いの世界で例えると「イジメや差別を助長する」ものとしてやり玉に

あげられることが多くなってきた時期と便利に快適に親切になってきた時代は

見事に符合するのではないか

それはイジメや差別を助長するとしかとらえられない人が圧倒的に増えてきたから


取扱説明書や注意事項で番組のテロップで「これはイジメではありません」と

表記しなければならない時代になるのであろうか

こういう意図があって、いまこういうイジリをしてますが、最後のオチで

こうなるためのフリなんですよ、とかそれはもう笑えるもんではない


むちゃくちゃなことをするのが唐突でギャップがあるから笑いのスイッチが

入るのであり、それをクドクドと説明されてはシラケてしまう

クソ真面目すぎる学級委員タイプの融通利かない人間のほうが多いわけではない

優等生気質な人であっても、ふざけたりお笑いが好きな人もいる

総じてそういう人は話がおもしろいし、自然と他人に対しての言葉のかけ方や

選び方、タイミングを身につけている人が多い

マジメにやるときと、それを崩すときのバランスを身につけているのである


それに対して融通の利かない人は説明できるとしても言葉の選び方やかけ方

そのタイミングがわかってないから、受け手にマイナスな印象を残してしまう

難しい用語を多用したり、少しトゲのある言い方になってしまったり

柔和な雰囲気をつくれない人が多い

そういう人がコミュニケーションの仕方を「勉強する」のが一番タチが悪い

そのアプローチが一番サブイのに気づいていないことがもうアウトです(笑)


コミュニケーションとは、わかりやすい説明や親切で簡単な手順で効率よく?

そんな単純な方法を明確にするものではない

時にはフザケてみたり、むちゃくちゃなことをして笑わせたりしながら

相手に合わせて、相手を見て感じて、言葉を選んだりするもの



昔はイジメをした過去がある人もその反省があるから大人になって人に

やさしくなれる人もいるという側面

一方で融通の利かない人間が自分が正しいとするあまり、世の中の不条理を

徹底的にたたき、許さないタイプに成長していくということも

辞任しろ、反省しろ、これはダメ、面白くない、…あれあれ?


窮屈な社会に一役買っているともいえなくもないです

感情豊かな人間が少なくなってきてると感じるひとつの原因が

こういうところにもあるのかもしれません