昨今はパワハラという問題が独り歩きしてしまっているが
ハラスメントの問題では昔は言えなかったが社会風潮が味方して
ボロボロと顔を出し始めていますね
どうやらいまは自分を不快にさせるものはすべてハラスメント扱いを
主張すれば手も足も出せなくなる雰囲気が社会全体に漂っている感じさえする
もちろんホントの手や足を出す暴力的な行為という意味ではないが(笑)
はたしてそれで本当にいいのか?と思う
ハラスメント扱いをすれば快適になるのだろうけれど、結果的に「ハレモノ」扱い
されて問題の本質がとらえられずになってしまうケースもあるのではないか
近頃は自分の快適さをジャマするような行為、現象はすべて悪のように扱われるが
おそらくすべての主張を受け入れて認めてしまうと、うまく回らなくなって
社会全体が居心地悪くなってしまうのでは?という視点にもたつべきだと思う
たしかに外形だけつかまえればハラスメント行為だとしても、反骨精神を養い
もう一歩進んで成長できる大事な機会であったと、後から思えばそう考えられる
出来事もなかには含まれているのではないか
当事者にとってはもちろんツライ、キツイ精神的にも肉体的にも疲弊する
そういうことであってもガマンしてツライ状況を乗り越えようと前を向くこと
その時点ではハラスメントと受け止めることであっても、未熟であったゆえに
見えていなかった、考え方や受け止め方が若さゆえに理解できなかった
いま思えば大事な経験だったんだなと後で思うようなこともあると思う
若くて体力もあるうちは実は困難を受け止めて成長する余地も十分にあると思う
昔は周囲が手を差し伸べたり、言葉をかけて励ましたり、時にはあからさまに
罵声を浴びせられたとしてもナニクソと自分を奮い立たせて必死にしがみつきながら
成長してきた自分を体験として知っている大人たちがほとんどである
しかし、そういう体験をしてきた世代の上司や経営者がかける言葉がみつけられない
どうしたらいいのかわからない、何か冗談であってもしようものなら不機嫌になる
まるでハレモノを扱うように対処の仕方をみつけられないのが原因ではないか
良くも悪くも昔は先輩後輩という鋼鉄のようなフレームがわたしたちの周囲に
ガッシリとキッチリと存在し、それは後輩という立場に自分が置かれた場合には
厳然とした縦社会として絶対服従するような雰囲気に満ち満ちていた
すべてとは言わないが、全部が全部悪いことばかりでもない
後輩という立場に置かれることによってこの春まではついこの間までは
先輩風を吹かせていた人でさえ、強制的に誰かの下に入ることになる
実はそこには初心にかえる、慢心せず一生懸命やる気持ちに戻してくれる
リセット機能もあったと考えることもできるのでは?
うまく言えないが社会全体としてはそういう鋼鉄フレームも一部分としては
必要悪として機能して全体的にはバランスを整えていたのではないか
悪いものをすべて悪いと極端に針を振ってしまうのは大事なバランスを失う
すべてを救おうとしても、すべてを救うことは不可能である
同様にすべての要求をかなえることも不可能である
だとしたら、自身に落ち度はなかったか、すべて正しい選択で一人前の行動か
自分自身を律して、叱られることを前向きに受け止めていくこと
未熟な時分である自分を認めて、受け止めて前に進む、歯を食いしばる
それを叱咤激励しながらも時にはやさしく、かつての自分をみるように
ねぎらう先輩たちもかける言葉をみつける努力をしてほしい
その先輩の姿は必ず未来の先輩として後輩たちに接する若者の見本となるのだから