人間の生活は便利になりすぎてしまいました

わたしたちは子供のころ、おじいちゃんやおばあちゃんに

愛情いっぱいに叱られた大事な記憶さえボヤけさせてしまっていますね

身内や他人が愛情をもって叱ることが、なかなか許容されない世の中の風潮が

出来上がりつつあるのが残念でなりません



自分自身が叱られて痛みや涙で、やっちゃいけないんだと身に染みることさえ

過保護になって回避させてしまう世の中になっているように感じます

時代を問わずやっちゃいけないことは、どの時代でもやってはいけない

しかし程度の差があって、その線引きを自分の居心地のために勝手に

判断してしまってるのではないか?



私世代の40代は、いろいろと古い文化の残り香をまとった大人の影響のなか育ち

ビジネスの大きな流れに左右されて時代に身を任せてしまい

いつしか、人間として困難に向き合う大事なことさえ

回避させてしまっているのではないでしょうか

その大事な教訓を身をもって体験した人が、大事なことを言葉で表現すること

これってニュアンスが伝わりづらくて思いのほか難しいのです



新しい便利なものとの取捨を迫られると便利なほうに向くのは仕方ない

私たちの世代でさえ伝えるべき言葉に迷い、うまく伝える表現がみつからずに

大事な教訓は次の世代に伝えられることなく、静かに密やかに

アスファルトに落ちる春先の雪のごとく消えてなくなっていくのかもしれません



戦争体験者の語り部となって伝え続けていた人の思い

たまにテレビのドキュメンタリー番組でも放送されますね

この問題を考えるときにいつも思い描くイメージなんです

戦争を身をもって知る世代が語る大事な生きた証言に対して

いまを生きる私たちは大事なことと知りながら、どこか他人事になって

自分ゴトとしてとらえられないのです

自分自身に「刺さってこない」というのがホンネかもしれないですね

平和な時代に生きるからこそ、大事さが自分ゴトとして入ってこないのでしょう



それと似た構図が、仕事に対して真摯に向き合うことや成功や失敗を経て

時代を生き抜いてきた人たちが語れる人生観や仕事観です

一線から退いて年金生活や余生を過ごす人たちがもっている人生観や仕事観を

なんらかのかたちで次の世代へ伝えていく必要があるはず

現代は技術が進歩するあまり逆に閉塞感が漂う時代です

古い考え方は不要だと考えがちで言葉をつぐんでしまう人も多いでしょう



しかし、アナログな世代の経験からアプローチしてみることが

労働力人口の減少に対する違う角度や視点からの突破口になるのではないか

そういう思いで「シゴトタマシィプロジェクト」の発想が生まれました

団塊世代と団塊ジュニア世代による未来へのプラスの遺産をのこす

思いは世代を越えて受け継がれていくべきもの

いつしかその思いが大事な局面で活かされるときがくると信じています