ルーツ | オレンジ応援日記

オレンジ応援日記

法政大学体育会バスケットボール女子部『HOSEI ORANGE WITCHES』応援ブログです。

父が亡くなってからまもなく丸2年、この11月が三回忌になります。
父が死んで、その後伯父伯母と2人亡くしていて、自分のルーツを改めて考えると言う機会が
増えています。

私の父も母も、栃木県足利市の田舎の出身です。
父方の祖父は、地元の名士だったらしく、いわゆる土建屋を興した人だったそうですが、地元の
町議会議員だか村議会議員だかにもなっていたらしく、地元では随分顔ききで面倒見のいい
親分肌だったそうです。

父はその三男坊でしたが、祖父の影響からか、当時では珍しく東京の大学で土木を学んで、
旧建設省や道路会社で働き、建設省時代はタイへの海外派遣に抜擢されたり、晩年は
東京外環道路開通に向け、まさに命を懸けた人でした。

母方の祖父は、地元でそこそこの織物業を営んでいて、最盛期には自宅で10数人の織工を
抱える大きな屋敷と工場を持っていました。

母はその家で、3人男兄弟の後に生まれた唯一の女の子で、一番近い兄とも14歳ほど離れて生まれた
遅い子で、色んな親戚や地元の人から聞いても、かなりのお嬢様だったようです。

父方も母方も地元では有名な名家だったようですが、どちらもその次の代の長男が事業を
潰してしまったようで、残っているようなものはありません。

それでも、田舎では名のある家ですから、いまだにそのコミュニケーションみたいなものは
生きているようで、残っている叔父たちにも財産になってるようです。

事業に成功した人、地元の政治で活躍した人、母のすぐ上の兄は太平洋戦争で戦死してますので、
そういった国のために命を懸けた人、亡くなった祖先のみでなく、健在の叔父伯母たちも含め、
その生きていた一つ一つの生命が、私obusukeに宿っているわけです。

先日お盆で、父の弟の叔父と随分長く話したんですが、父が亡くなって、相続関係で手に入れた
古くからの戸籍謄本で、今私自分にまつわる家系図を作っておりまして、それを叔父に話したら、
以前、叔父もそれに着手したことがあるようで、私が家系図を作ろうとしていることに、とても
喜んで、それは家にとってとてもいいことだし、大事なことだと言っていました。

自分が(叔父が)生きているうちに、完成させてくれと。

自分が、今ここに生きているのは、ポッとそこに生まれた命ではない。
父や母が、そしてそこに至る多くの命が自分に繋がっています。

その繋がりに本当に感謝をし、そしてそのルーツを未来へ伝えていかないといかんですね。