グーグルvs.中国:元共産主義とネット共産主義の戦い | Observing China

グーグルvs.中国:元共産主義とネット共産主義の戦い

グーグルの中国撤退騒動が続いている。CEOのエリック・シュミットが米ニューズウィーク誌のインタビューに応じているが、「ビジネスでなく価値観の問題」という答えに目新しい発見はない。

グーグルが象徴するインターネットを「あらゆる情報を遮る『垣根』が取り払われた(あるいは取り払おうとする)世界」と定義するならば、そこは万人が平等に情報を共有し、万人に平等に情報がもたらされる「情報共産主義」の国である。

情報共産主義がいわゆる経済学上の共産主義と異なるのは、もとは経済的価値を有する「情報」を限りなく無価値にしてしまうところだ。同じ情報が二つあって、一方は誰でも無料でアクセスでき、もう一方が有料なら、タダの情報を取らない人間はいない。

ただこのやり方だと、「インターネット共和国」が自らの領地を拡大する武器であるはずの情報がそのうち枯渇してしまう。「焦土作戦」を勝ち残れる体力をもつ巨人だけが生き残り、その他が死滅した世界では、だれも多様な情報を供給できないからだ(自分の勤めるテレビ局がネットのせいでつぶれたら、報道記者が暇を見つけてブログを書く余裕はなくなる)。

成立不能な仮定を前提にしている点でも、インターネットの世界は共産主義に極めて似ている。「財産を共有しても人間はまじめに働く」という性善説が根拠の共産主義は、人は目の前にニンジンをぶらさげないと働かないという現実の前に敗れ去った。「人はノーギャラでも多様な情報を供給する」というインターネットの前提も、そのうち善意が機能しなくなる臨界点を迎えるだろう。

■□現実主義vs.理想主義■□

「ネット共産主義」を象徴するグーグルと、元共産主義国家の中国が衝突しているのは何とも興味深い図である。もちろん中国には「情報の経済的価値を守ろう」などという意図はこれっぽっちもないが。

ただ今の中国人の意識には、われわれの想像以上にアヘン戦争以来の「西洋不信」が残っている。たとえそれが民主でも自由でも、西洋が「これは良いものだから!」と押し付けてくるものに対して中国人はおおむね懐疑的である。

「報道の自由があるといっても、いかなる国にもタブーは存在する」「選挙があるのに日本人は長く一党独裁を選択してきた」「国連は無力で国際社会は無政府状態にある」というように、少なくとも数年前に中国人大学生は中国にいるがゆえ分かる「真理」をつかんでいた。

グーグルが掲げる大義名分は、完全無欠なものなのだろうか。神ならぬ身であれば、人も国家もシステムも完全などありえない。今回の騒動はかつて「十全十美」を目指して敗れ去った中国の現実主義と、グーグルの理想主義の対決にも見えるがどうだろうか。