習近平の人民日報論文 | Observing China

習近平の人民日報論文

尊敬する宮崎正弘センセイのメルマガ最新号がまたまた重要情報を配信してくれた。曰く、10月9日付け人民日報に習近平の2万字もの長編論文が載っている、驚くことにその論文のどこにも「毛沢東」の3文字が見つからない——。

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当該論文の中身は基本的には4中全会で採択された<新たな形勢下における党建設の強化・改善に関する重大問題に関する中共中央の若干の決定>の解説である(党の次の60年の方向性を示す<決定>の解説書を習が書いているわけだ)。

たしかにこの論文を読んでも、毛沢東の名前は出てこない。ちなみに鄧小平は2回、三つの代表は4回、科学的発展観は11回それぞれ出てくる。この「格差」をどう解釈すべきなのか。

■□「毛沢東レス」という異常事態□■

そもそも、論文の性質が「現在の中国の発展をふまえつつ、次の中国共産党の60年を俯瞰する」内容なのだから、起点が改革開放になるのは自然なこととも思える。執筆者の心情を慮るに、逆にあからさまに起点を49年に置くと、反右派闘争とか大躍進とか文革といった負の側面に触れざるを得なくなるので、何となく避けた——と読めなくもない。

しかし、である。やはり建国60周年をふまえた党の文書で「毛沢東思想」が一言も出てこないのは異常事態である。習が自分の指示であえて外した、と見るのが正しかろう。ただ「毛沢東」の削除が習の意思だったとして、江沢民と胡錦涛がそれを承認したのかどうか。この2人にしてみれば「明日は我が身」のはずだ。

習が自らの意思で「毛沢東」を外したのであれば、理由は一つしかない。それは自身と父親の文革体験である。親子がなめた辛酸の味をその息子は忘れていないし、忘れるつもりがないことをこの論文は示している。習は筋を通す(あるいは単に恨みを晴らす)ためには、あえて波風を立てることも恐れない性格、ということになる。

その思想、行動原理が謎に包まれた習近平という人物を分析するうえで、今回の「事件」は格好の材料を提供してくれた。宮崎先生、ありがとう!