こんにちは、観測者です。

 
先日、無事に一つの契約を終えました。
相手は、以前お話しした「良いマンションに住むカナリア」のような女性です。
 
 
本来、成約は営業マンにとって「喜び」の瞬間のはずです。
 
 
しかし、彼女との対話を終えた私の心に残っていたのは、形容しがたい深い「疲れ」だけでした。
 
 
なぜなら、その場で行われていた対話は、論理的にはおよそ「まとも」ではなかったからです。
 
 
 
1. 支離滅裂な「勝利宣言」
彼女は、2年前に私が勤める保険会社の契約を解約し、他社へ乗り換えた過去があります。
今回、自ら連絡をくれたにもかかわらず、彼女は開口一番こう語りました。
 
 
「あの時、他社の保険に切り替えて、本当に助かったのよ。あの選択は正しかったわ」
 
 
かつて捨てた会社の人間に向かって、他社の素晴らしさを滔々と語る。
 
 
論理的に考えれば、これほど矛盾した行動はありません。解約した保険会社に戻りたいのなら、他社の話など伏せておけばいいはずです。
 
 
ですが、観測者として彼女の脳内を覗いたとき、その「まともじゃなさ」の正体が見えてきました。
 
 
 
2. 過去を「浄化」するための儀式
彼女は、2年前に他社の営業電話という「ノイズ」に負け、長年続けてきた保障を捨てた自分を、心の底では許せていなかったのです。
 
 
だからこそ、彼女には「儀式」が必要でした。
 
 
「他社の保険は素晴らしかった(だから私の判断は間違っていなかった)」
 
 
という嘘のような盾を掲げることで、崩れそうな自尊心を必死に守りながら、私の前に現れたのです。
 
 
彼女が求めていたのは、新しい保険プランではありません。
 
 
「あなたの過去の選択も、今の決断も、すべて間違っていませんよ」という、観測者による「人生の全肯定」だったのです。
 
 
 
3. 「疲れ」こそが、誠実さの証
私は彼女の支離滅裂な話を、ただ静かに観測し、頷きました。
 
 
彼女が抱える
 
「5人兄妹の重圧」
 
「甥っ子への期待」
 
「自分の人生の整合性を保ちたいというエゴ」。
 
 
それらすべてを「構造」としてまともに受け止めた結果、契約手続きが済んだ瞬間、私はひどく消耗していました。
 
 
数字を追うだけの営業マンなら、ガッツポーズをしたでしょう。
 
 
ですが、一人の人間の「業(ごう)」と「矛盾」を丸ごと引き受け、構造を再設計する作業は、それほどまでに重く、孤独なものです。
 
 
 
最後に
世の中には「まともじゃない」ことが溢れています。
 
特に、人の生死や老いが絡む場所では、論理よりも「感情の整合性」が優先されます。
 
 
 
私は、彼女が語った「他社に助けられた」という強がりを、そのまま受け入れました。
 
それが、彼女というカナリアを救済し、未来を確定させるために必要な「コスト」だったからです。
 
 
もしあなたが、理不尽な顧客や矛盾した人間関係に疲れ果てているなら。
 
それは、あなたが相手の「構造」をまともに見ようとしている、誠実な観測者である証拠かもしれません。
 
 
明日は、この「疲れ」の先にある、本当の意味での「顧客との距離感」についてお話しします。