◽️◽️◽️以下、ネタバレあり注意◽️◽️◽️





『関心領域』を観た。

青空のもと、豊かな自然の中で。
立派な庭のプールで。
子供たちが楽しそうに遊び、
キャッキャと笑い声をあげる。
ヘス家の穏やかな日常。

夫・ルドルフは家族のために真面目に働き、
妻・ヘートヴィヒは家族の世話をし
庭の手入れも欠かさない。
まさに絵に描いたような幸せそうな家族。


それなのに。

観始めてから最後まで消えることのない

ぐっと胃を掴まれているような鈍い不快感
その理由は、

ルドルフがアウシュヴィッツ強制収容所の
長であること。
この素敵な屋敷と庭は強制収容所と
壁一枚隔てた場所に建っているということ。

冒頭からずっと流れるボーッという
微かな重低音。
ユダヤ人の遺体を「処分」するための
焼却炉の稼働音であることを理解すると、
頭と心が乖離してしまうような
強烈な違和感が自分の中に生まれる。

父親の誕生日を祝う家族や部下。

幼子と庭を散歩する母親。

絵本を読んで子供を寝かしつける父親。
家族全員で囲む食卓。
ベッドの上で冗談を言って笑う夫婦。

現代の我々となんら変わらない日常。

そんなごくありふれた風景に重なるように、
銃声、怒号、悲鳴が微かに聴こえてくる。
庭に出ると有刺鉄線のついた壁が、
屋敷の窓からは
銃を持った兵士がいる監視塔が、見える。
馬に乗り収容所周辺を巡回する
ルドルフと長男の背景に見えた、
ボッボッボッと規則的にあがる煙。
あれはナチス支配圏のユダヤ人を
収容所へと移送する
列車のはき出す煙だろうか。

皆が寝静まる頃、収容所の敷地内では
赤い炎と黒い煙が夜空を焦がしている。
焼却炉だけでは追い付かない"荷"を
野外で燃やしているのか。
"荷"とは、この映画でナチスの兵士が使う
言葉で、ユダヤ人の遺体のこと。
現に家に技術者を招き、いかに効率よく
"荷"を焼却処分するかを話し合っている。

銃声に反応しそちらへ目線を向けたり、

窓の外を覗いたりする

子供たちのシーンもあるが、

基本ヘス家の人々は

慣れてしまっているのか、

収容所から聞こえる音・見える景色・
おそらくは漂う(肉の焼ける)匂いに
無関心・無反応である。

健全で幸せそうな家庭に見えたヘス家。
ヘートヴィヒや彼女の母親の
ユダヤ人の使用人に対する言動。
娘インゲの夢遊病のような症状。
ベッドの中で長男が宝物のように
大事そうに眺めている"もの"。

末っ子の夜の面倒をみる使用人の飲酒。

彼らの"当たり前"の生活の中に、
歪みが生じていることが
だんだん分かってくる。


そして、ルドルフの無表情。
彼はめったに感情を露にしない。
きっと執務室でユダヤ人の少女と
交わった時も。
どんな顔をして行為の後、
下半身を洗っていたのか。
ナチ幹部が集まるパーティーに出席した後、
「どうやったらここに集まる人々を
効率的に殺せるかを考えていた」と
ヘートヴィヒとの電話で語っている。

職務に忠実すぎたが故、なのか。

唯一、自分の飼い犬や愛馬に見せる顔は

いたって人間らしい優しさに溢れていた。

のに…。


単身赴任後のルドルフが
医者に胃腸を診てもらっている場面があり、
ラスト。外出するのか、軍服と外套を着て
ひたすら官舎の階段を下へ下へ降りていく。

途中、彼が廊下でたたずんだ時、
唐突に現代は平和博物館になっている
アウシュヴィッツが写される。
ガラスの向こうの、もの凄い数の遺品の山。
犠牲になったユダヤ人の写真が飾られた廊下。ガス室の焼却炉。
スタッフが黙々と清掃している。
唐突すぎて「あぁ、現代なのか」と、
一瞬遅れて理解した。

この時、観客は気づかされる。
アウシュヴィッツで行われた事。
それは決して自分に関係のない、
遠い過去の話ではないのだと。

それが彼が見た
「未来」なのかは分からない。

踊り場で二度、ルドルフは嘔吐く。
これはきっと自分の職務に対する
人間としての本能的な拒否反応なのだろうか。

しかし、もう引き返すことなどできない。
階段を下っていく先は、
ただただ真っ暗な闇。
それでも彼はひたすら階段を降りていく…。

この映画の時は大戦末期の1945年。
4月にヒトラーが自殺、
5月にドイツが無条件降伏。

そして二年後の1947年。

戦犯としてルドルフ・へスは

かつて所長をつとめた収容所跡地で

絞首刑となる…。


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ホロコーストには憤りしか感じない。

ナチスが犯した罪は許されるべきではない。

しかし、それを行ったナチス党員も

家族を大切に思い、

子供たちが無事に成長することを願う

人間だということ。

そして、色んな時代背景があるとしても、

ナチスを支持したのは

当時のドイツ国民であるということ。


彼らと現代を生きる我々の違いは
なんだろう?
"無関心"、"無反応"という言葉が
胸に突き刺さる。

今なお世界各地で"戦争"が続いている。

今を生きる我々は、

必ず一度は観るべき映画。そう思った。


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今も頭に残るスタッフロールまで観終えた
自分のカオは完全な無表情だったろう…。
とんでもないものを観てしまった…。と。

この映画はとにかく「音」が重要。

アカデミー賞で音響賞をとった理由が

よく分かった。


収容所内部の直接的な表現が一切ないので、

川遊びをしていると上流から"灰"と"骨"が

流れてくるシーンなどは、不意打ち感があり

とにかく恐ろしい。


冒頭3分の真っ暗闇や、

唯一の希望の存在である

収容者のために林檎を作業場に埋める少女の

サーモグラフィ映像。

劇中唐突に挟み込まれた、

現在のアウシュヴィッツ平和博物館の映像。

ストーリー、構成、演出…。

それらの全てに完全にやられてしまった!


ヘートヴィヒを演じたザンドラ・ヒュラー。

『落下の解剖学』で知った彼女だけれど、

今回も感情の起伏が激しい役だった。

せっかく手に入れた"自分の城"を

手放すまいとするヘートヴィヒの

粘着質ぶりはすさまじく、ただ圧倒された。

素晴らしい俳優さんだと思う。


ルドルフを演じた

クリスティアン・フリーデルの存在感も!

今回はナチス士官の役だったが、

ヒトラー暗殺未遂事件の首謀者を演じた、

ヒトラー暗殺、13分の誤算』という作品。

こちらも是非観てみたいと思う。