前回のブログで、『歌声サロン』のミニコンサートで、『すみれの花咲く頃』を歌ったことを書きまし




庭のビオラ(スミレ科スミレ属)。






昭和の時代。
仙台市の女子高で音楽部に入り、私は合唱を始めました。


その頃、『すみれの花咲く頃』も歌いました。

『宝塚歌劇団』を象徴する歌として、知られています。



恩師の好きな曲だったのでしょう。



後から知ったのですが、恩師は、教え子をタカラジェンヌとしてデビューさせたかったのです。

見込みがありそうな生徒に、『宝塚音楽学校』の受験を勧めていたようです。


もちろん、私には、声はかかりませんでした(笑)。




その恩師の夢を叶えたのが、元タカラジェンヌの『朝海ひかる』さんでした。

しかも、トップにまでなったのですから、素晴らしい。

現在も、舞台を中心に活躍されてます。






昭和時代の春。
3月に、私たちの学年が高校を卒業しました。

その年の7月。
卒業して一年目の私たちは、母校の音楽部の定期演奏会へ行き、客席で演奏を聴きました。


ある曲で、部員の合唱に合わせて踊る、背の高い一年生がいました……。

(・・;)

……その一年生のダイナミックなダンスにくぎ付けになりました。



( ̄□ ̄;)

すごい……。



ダンスの素人の私でも、技術の高さがわかりました。



それが、『朝海ひかる』さんでした。

後の宝塚トップスターです。





その頃、私は卒業生で結成した合唱団に入っていました。

朝海ひかるさんが宝塚に入ったことやそこで活躍している話など、常に恩師から聞いていました。



ちなみに、この合唱団でも、『すみれの花咲く頃』は歌っていました……。

ドタバタとした振り付きで(笑)。





朝海ひかるさんが宝塚でトップになった頃は、何度か公演を観に行きました。

恩師を通してチケットを購入させていただき、良い席で観ることができました。

贅沢な話です。




2006年12月24日。
朝海ひかるさんは、宝塚歌劇団を引退。

恩師は、朝海ひかるさんの宝塚での最後の公演にも行きました。



年が明けて、2007年1月10日。
恩師は、突然、この世から旅立ちました。


朝海ひかるさんの宝塚での最後の姿を見届けて……。


恩師にとって、朝海ひかるさんは、最高の教え子だったと思います。






★朝海ひかるさんに関する私のブログ。

お時間がある方は、ご覧くださいませ。


☆2015年10月11日
『山形県東置賜郡川西町・國語元年』

(ついでに『山形県観光・國語元年』も見てください)



☆2016年11月14日
『鏡 収集』






★現在、

『すみれの花咲く頃 リモート合唱』

の動画が注目されてます。


『杜けあき』さん(仙台市出身)を中心とした、元タカラジェンヌの方々によるものです。

新型コロナウイルス感染者の治療にあたる、医療従事者の方々への感謝の気持ちが込められています。


この後、第2弾などの予定もあるようです。






★指揮者の『佐渡裕』氏による、参加型の

『すみれの花咲く頃プロジェクト』

も、行われています。




興味がある方は、YouTubeをご覧ください。



庭のビオラ。
顔のような花です。






閑話休題。


母校の卒業生の合唱団。
恩師が亡くなって解散しましたが、その中の一部の少人数で歌のグループを結成しました。

それが、私たちのグループです。

ピアニストも含めて、みんな音楽部の卒業生です。



毎年夏に、私たちのグループも参加していた合唱祭。

今年はコロナの影響で、中止になりました。



中止が決まる前は、合唱祭の準備として、曲を選ぶ作業をしていました。


『すみれの花咲く頃』も、いいよね!

久しぶりに歌おうか!


……なんて話をしていた後、コロナのため活動が休止になり、合唱祭の中止も決まりました。




『すみれの花咲く頃』は、タカラジェンヌの方々の心の歌。

でも、私たちにとっても、大切な歌なのです。




楽しみにしていたのに、歌えなくなった『すみれの花咲く頃』の楽譜。

それを見ながら、考えました。



『歌声サロン』で、歌おう……と。



いろいろな思いを込めて、一人で歌いました。