自分を一言で表現するなら 「世話好き」
父は根っからの人間好き
母はスーパー世話焼きおばさん
姉は過剰なサービス精神を発揮するし
もう一人の姉はおおらかで海のよう
家族そろって楽しいことが大好きなお祭り人間で、
人が大好きで、お人良しで頑張り屋で人の世話ばかりやいて
自分の事は後回し。
わたしが世話好きなのは遺伝的にも育った環境をみても自然なこと。
けど個々最近ずーっとひとつの疑問が胸に渦巻いていた。
「わたしは生まれ持った性質として人をお世話するのが好きなの?」
「それとも自分の中に満たされない何か、人から満たしてほしい何かがあって、
その思いを投影してる自慰モードの世話好きなの?」
今日は雨で、友達とゆっくりおしゃべりする時間に恵まれた。
彼女はわたしよりだいぶ年上で、わたしよりもむしろ母の歳に
近いくらい。だけどわたしを無闇に子ども扱いすることはなく、
いつも友達として対等に、自由に、思ったことや言いたいことは言う人。
それで彼女に例の自分の中の疑問を投げかけてみた。
そしたらそれはもうハッキリと
「前者だね!どっからどーみても。
あなたが生まれ持ったものだよ、その異常な世話好きは。」
と言ってくれた。
これが何よりうれしくてうれしくて。
それではたと気付いた。
これまでのわたしも、最近色んなブログを読み漁るわたしも、
自分を悲劇のヒロインに仕立て上げたくて仕方なくて、
そういう解釈ができそうなものばかりを読みこんで、
「ほーらわたしはこんなに可哀想。
こんな過去があるからこういう思考回路になっちゃってて、
だから○○できない。
幸せになれない。
自分を生きられない。」
言い訳の材料にしてた。
ありのままの今の自分を見ずに、ほんとに小さな不安の芽や
過去の感傷をひっぱりだして、誇大広告のように自分の
前にぶらさげて、
「わたしは可哀想な子。だから今はまだ○○できない。
そんな元気も体力もない。」
自分に悲劇のヒロインのレッテルを貼りつけて
幸せを自分から遠ざける口実に使ってた。
幸せや豊かさを選ぶのは勇気がいる。
今までの自分とは違う、変わっていく自分を直視しなきゃいけないし
なかなかひとっ飛びには変われなく焦ったり惨めだったり
弱かったりダサかったりする自分も見つめなきゃいけない。
自分の周りの人との関係性や価値観も自ずと変わっていくから
それにも向き合わないといけない。
それが怖くて、勇気がでなくていつまでも可哀想な自分を演じる
ことを自分に許してしまう。
自分がかわいそうな理由を探しまわる。
自分は病んでることにしたい。
大量の情報の中をウロウロして自分の心理状態を
だいたい把握したつもりになってる。
でも自分の心の奥深くは見ないふり。
聴こえた。気付いた。
わたしはわたしでしかない。
夫に「お前なんか大嫌い」と言われようが(実際きのう言われた
けどね。。。そりゃ落ち込むけど)、
少々つらい過去があろうが、
今傷ついていようが、わたしはわたし。
全部わたし。
その同じわたしのままで
豊かになる
幸せになる、って決めたからそうなる。
幸せになってから”幸せだ~”って思うんじゃない。
まず決める。そしてそういう自分にだんだんなっていく。
決して無理に変化しようとするわけじゃなく、
柔らかくて強い決意と決断が
幸せを選ぶ道を進むわたしの背中を優しく押してくれる。
頭で考えても考えても全然答えなんて出てこなかった。
ここにいて幸せか、この人といて幸せか、わたしは
今の自分で幸せか、、、、
ただの堂々巡り。
そうじゃない、心の奥底でうずうずしてるものを
感じるだけできっといいんだ。
過去の傷とか将来の不安とかばっか言ってないで、
今、ここがスタート地点。
今決めて今始めればいい。
どんどん幸せになっていくということ
どんどん豊かになっていくということ。
どうやって? それは神(宇宙)のみぞ知る~
わたしの預かり知るところでも心配するところでもない。
心配してもそれって無駄なエネルギーを使うだけ。
くよくよ心配してる暇があったら、持って生まれたギフトを
携えて、たった一歩でいいから歩きだそう、
今この瞬間に。
それだけで「生きてる」って感じられる。
自分の生=性=命=魂を感じられたら
それが例え風が一瞬吹き抜けるようなものだったとしても
それって幸せって言うんじゃないのか。
さあ踊るように生きよう!
わたしはわたしの姿のまま
足すことも引くこともなく
天が与えてくれたこの姿、今この場所で
飾らずに踊ろう!生きよう!
