お山の生活火のある暮らし  -2ページ目

お山の生活火のある暮らし 

楽しくてがんばらない脱力系田舎暮らしをしています。
人や自然、動物、自分との関わりについて、生きることに関係あること全般、山で暮らしながら日々感じることを綴っています。

 




上映会を開く理加さんの思いにすごく共感。


「私は母親目線で畑をしていますので、映像選びも、お母さん達によく伝わる映像で深く意識に働きかけるもの。

反対やアタックするだけのものではなく、どう意識しどう選択するかを手助けする上映会になればと望んでいます!」

 

 

「感覚的に、すすんで子供達にあげたいもの、あげたくないものって特にお母さんなら持ってっていると思いますが、映像を見ることでくっきりはっきりとなればいいなと思います。」



感覚的に物事をとらえる女性。日々、ごく当たり前に子どもを守るため、笑顔にするためにアンテナを張るお母さん。感覚的に“遺伝子組み換えってなんかやばそう~”と思っている女性が、”やっぱり、これはあかん!”と頭でも理解してさらに右矢印”何を基準に選んでどこで何を買えばいいか”まではっきり捉えられる手助けとなるような上映会は、実用的ですごくいいなと思う。 


今日は偶然ラジオの国会中継が耳に入ってきて、TPPが現実のものになったら魚(カナダとアメリカで既に認可がおりた遺伝子組み換えサーモン)が日本に入って来る可能性があると知って、暗澹たる気持ちになった。

 

 

まぁ養殖魚や鶏、豚、牛だって遺伝子組み換え飼料で育ってるから、国内の食べ物で安全なものなんて既に極一部しかないけどさ。 

 



エサ作りとエサやりをわたしが担当するようになってから、ガクリと卵を産まなくなった我が家の愛らしい9羽のニワトリ達。目下、いかに身の回りで手に入るもの(米ぬか、古米、魚のあらなど)で産卵率を上げるかが私の悩み。

 


(絶対遺伝子組み換えやろ~っていう)トウモロコシとか入ってるホームセンターの飼料はニワトリに食べさせたく(わたしはそれで出来あがった卵を食べたく)ないし、だけど卵は大好き!やから試行錯誤の日々はつづきます。 
 


今日の採卵、午前8時、2個。 

ブログを書いていない間にもブログを訪れて下さる方がいたり、読者登録して下さる方がいたりしてものすごくうれしいです!ありがとうございます!

 

 

さて本題。

 

グーグル検索は検索ワード(調べる人の意図・意識)によって、全然違う情報を提供してくれる。ワードの幅(組み合わせ)が広がれば広がるほど、得られる情報の幅も広がる。

自分が意識を開いていると、多分インターネットから得られる情報は無限にある。見たい世界が限られていると、その限られた世界を見せてくれる。その落とし穴にはまらないように、上手く使いこなせばすばらしいツールだ。 
 


普段ほとんどニュースを見ないわたしに友達が最近のニュースを教えてくれた。

 


友達「鳥取で大麻栽培許可とってやってた地域おこし協力隊の人が逮捕されてんて。町長とか村の人とかめっちゃ怒ってて、残された畑の見回りとか困ってるらしい~」 

わたし「ふーん、許可までとったのに残念やな。でもそれ、なんかやらせ逮捕っぽくない?」

友達「いや~、おるんちゃう、そういう身勝手な意味分からん人。」



気になったので帰ってきてから調べてみた。

 

 


「鳥取 大麻栽培 逮捕」 で調べると、友達が言っていた通りの普通のニュースやそれを取り上げたブログ記事が次々と出てきた。



逮捕されたのが「上野さん」であったこと、「鳥取県智頭町に住んでた」こと、「家族がいた」ことが分かったので、次は「上野さん 一家 智頭町」で検索をかけてみた。
 

 

上野さんの人となりが何となく伝わって来る記事を発見。

ガジェット通信 「鳥取・智頭町への移住者」
http://getnews.jp/archives/1158778

 

「脱原発、山里で誓う 鳥取・智頭へ移住の2家族」

http://amaebi312.blogspot.jp/2012/06/blog-post.html

 


わたしの周りにも、3・11以降、関東や東北から子どもへの放射能の影響を考えて避難や移住した家族がたくさんいる。知り合ったほとんどの人は、とても良心的で真剣に日本の現状を憂い、家族の健康のことを考え、移住後食べものやエネルギーの自給に取り組む人達だ。
 

 

上野さん一家からも同じ雰囲気が感じ取れた。
 

 


上野さん一家が震災後、新たな土地で“地域おこし協力隊”として公的な立場で地域を盛り上げるために新たな事業を始めた矢先の逮捕。

その裏に何があったのか。

ただ単に「大麻を所持していたから逮捕」されたのではないことは想像に難くない。

 

 


アメリカのクリスチャンファミリーでホームステイしてたらステイ先の高校生と大学生の息子・娘たちがハイウェイ爆走中に親に内緒でマリファナを吸いまくっていたり、

 

タバコよりマリファナの方が安い国に住んだり、

それは立派なもはや木か!っていうでかさの大麻草を庭で育て、素敵な木の家を建て、おししいピザを焼いて振る舞うイタリア人のおじさんや、

 

ただただ幸せそうな顔してマリファナを吸ってるヒッピーや旅人たちにたくさん会って、

 

この目で一般的に日本で麻薬として取り締まられてる「大麻」が、体や心を害するものじゃないのを見てきた。
 

 

知識としても、上野さんが町長を説得したように、日本では昔どこでも麻が栽培されていて、薬になったり繊維になって服や袋になったり油になったりとても役立っていたというのを知っている。

 


だからわたしは大麻に偏見はないし、それを持ってたり吸ってたりする人がいても、別に怖いとか通報しようとか思わない。

 

 

 


 

 

 

栽培していた人が吸っていたと聞いたら、そうだろうな、自然なことだなと思う。

所持も使用もしないのが今の日本では無難だとは思うけれど、ただそれだけ。


アメリカなら思春期の子を持つ親子間協議レベルの「大麻持ってた・吸ってた・隠してた」が逮捕・大ニュースになり、その影響で今後しばらくの間、「大麻栽培で地域活性化」の大きな可能性は閉ざされることになると思うとそれが悔しい。
 

 

その責任を逮捕された上野さんになすりつけても始まらない。

 

 

 

一体「大麻栽培で地域活性化」が進んでほしくなかったのは誰なのか。

何万と国内に栽培者(無許可・許可ふくめ)も所持者も使用者もいるのに、警察は情報をたくさん持っているのに、なぜこの時期に、

なぜこのタイミングで、
 

なぜ「地域おこし協力隊の上野さん」が逮捕されたのか。
 

 

逮捕の裏側にどういう組織のどういう意図があったのか、その辺りが今後ネット上で追求されて明らかになれば、上野さんもその家族の心も少しは晴れるだろう。




これはわたしが、わたしの世界とそこから引っ張り出した情報でこのニュースを見たとき得られた考え。
 

かたや友達の「そういう身勝手で困った人もいる」という彼女の考え。


どちらが良い・悪いではなく、ただただ、わたし達は誰でも自分の見たい世界を自分で選んで見れるし、自分のしたい解釈を自分で常に選べるのだと思う。




 





 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

借金をすることがたまにある。

例えば今年、例年9月中旬のお米の収穫が10月にずれ込んだので、自分ちのお米を全部消費してしまって米を買わなければいけなくなった。そこで近所で有機農をしている友達に米を注文。

約半月分、9キロのお米、1キロ700円 

 

合計 ¥6300札束  

現金払いせず、借金しました!

 

 

なぜなら

友達 「炭あったら、支払い、炭で!」
私 「あるある!ありがとう~!じゃ炭で!」


交渉成立!!



楽しい借金、ならぬ借米の成立


 

 
友達は米をいっぱい作ってるので米が余ってる、一方うちは炭を焼いてるので炭が余ってる。それぞれがどっかでお金を出して買ってくるより、お互い必要な物を交換。それが自然で早くて便利で家計も助かる!


これが成り立つのも、お金、エネルギー、食に関して友達と私の価値観がある程度一緒だからだと思う。ありがたいことに、こういう物々交換できる間柄の人が、つまり価値観を共有できる友達が同じ地域に何人もいる。 
(住んでいる地域の紹介は過去記事へ)

子守り⇔野菜、炭⇔野菜、炭⇔手作り子ども服、
農作業手伝い⇔野菜、子守り⇔子守り だったり。


お金で出来ることは沢山あるのでお金ははもちろん大好きでたくさんほしいけど(笑)、お金が介在しない関係も楽しい。












 ​
 

「低支出・低収入・低負荷」をモットーに電気・ガス・水道の契約をせずに鹿児島で田舎暮らしする社会派ヒッピーのテンダー。
 

 

(テンダーの手がけた助産院の動画を以前ブログで紹介しました。そちらの記事も動画と合わせて良ければご覧ください。→過去記事「助産院で産む」

 

 

そのテンダーが今週末近所に講演&ソーラーシステム構築WSにやってくるということで、前々から買いたいと思って買わないままやり過ごしていたテンダー著『わがや電力~12歳からとりかかる太陽光発電の入門書~』を急遽注文。すぐに発送していただき無事手元に届いた!

1ページ目はやわらかなタッチのイラストで、3歳の息子は絵本だと思って読んで欲しがっていた。本を手にしてうれしそう。親バカやけど、かわいいぞ。

 


 



私たち夫婦が今暮らしてる築80年の家のすぐ近くには川が流れている。一年を通して水量が結構ある。ここで発電すれば、送電線は自分たちの敷地内を通るだけなのできっと手続きとかが色々ややこしくなくて、やる気になれば自家発電できそうだ!とか盛り上がったこともあったけど、実現しないまま引っ越してきて5年がたつ。 

忙しいのを理由にし出したら、田舎の生活なんて祭りだ出役だ稲刈りだなんだの年中忙しいので、そういう言い訳は潔くやめて、出来ることから少しずつでもいいから始めていきたい。


 

 


今回旦那さんと私が参加するのは、リノベーション中のとある古民家の電球6個と冷蔵庫一台をオフグリッド化=従来の電力網に頼らなくても発電できる仕組みを作る電気工事。

旦那さんは機械大好き・DIY大好きな器用な人なので、”な~んや、オフグリッド簡単やん!”となれば、我が家の非電化計画が動き出すこと間違いなし。他力本願な妻w

 


やる気だけはあるが理系の理でアレルギーが出る私が読んで理解できるのか?!”わが家電力”一読の価値あり!また詳しいレビュー書きます!


こちらの本は自費出版で、テンダーのHP「ヨホホ研究所」から注文できます。送料無料でかなり迅速に対応してくれます!!


 

最近思わぬところからご縁をいただいて、と卵が売れた。

いつもはしないのに、たまたまFBで炭の販売の宣伝記事を書いたら、炭焼きのお師匠さんの友達の友達という方が、偶然それを目にしてすぐに電話をくださった。

七輪でサンマを焼いたり火鉢で火をおこしたりするのがお好きな、渋いご夫婦だった。業者さんや問屋さんに炭を売ることはあっても、個人で全く面識のない方に販売することはあんまりないので、緊張したけど滞りなく納品。


”これで冬中、色々煮たり焼いたり楽しめるわ~♪”と喜んでいただき一安心。

 

 

ニワトリを10羽ほど自給用に飼っている。
毎日8個くらい卵を産んでくれる。自家消費するには少し多いので、近所の海の見える無人販売所に置いたりしている。売れるときは売れるけど、売れない時は売れない。
 

 


 

いかんせん、超田舎なので人通りは少ない。住んでる人も少ない。


卵は自給用なので、売れなくても別にいいや~と思いつつ、返品卵をご近所さんに持って行くと、

”今度から週1で卵買わせてね。お弁当つくるから、卵よく使うんや~”

と!

 



やったー!!定期的に買ってもらえるというのはありがたい♪


卵1パック300円、一カ月で1200円の収入♪


お小遣いもうれしいけど、卵の受け渡しを通してその方とまた少し親しくなれる、関係性ができていく、というのがうれしい♪



売ろう売ろう、と思ってがんばるよりも、肩の力を抜いてふわ~っとしてたら、意外とタイミング良く”買うよ!”と声がかかるものなのかもしれない。

 

 



 

 


 

 

 

 

大好きな場所。失いたくない場所。



壊されると胸が痛む場所。



壊される理由が『お金』なら尚更。









おじいちゃん、おばあちゃん達やその親世代の方々がまだ若いころ

戦後の貧しい時代に

未来のことを想って

田畑を手放し

自分達の手でご先祖が積んだであろう石垣を崩し

また石をひとつひとつ積んだ。

木の道具で土を運び 

土を叩き 踏み固め 校庭を作った。

村の山から切り出しここで製材し

 

村の大工さんが総出で校舎を建てた。  





梁も柱も太く、本数も多く、安全に、末永く子ども達を見守れるように。
 

子ども達への、教育への思いがそういう設計を生んだんだろう。

 

 

 

 

 

あれから60年。木の建物は生きている。

命をもって、生きている。

子どもを温かくずっと見守ってきた。

わたしはこの村の出身でないけれど

ずっとこの校舎で学んで、守られてきた。

 

 

 

誰がなんと言おうと、ここはわたしの大切な場所。



『維持していくお金がない』のが理由で壊すなんて、、、

それを易々と受け入れることは、

自分で自分に「お金がないと何もできない」と納得させる人生を受け入れるのと同じこと。





必要なお金はある!どこかに絶対!笑




この建物は、必ず残る!



それをわたしは選択するだけ!


 

引き寄せの法則を今使わなくていつ使うんだ!

 

 

 

 



いつもブログを見てくださる方

 

いいね!を押してくださる方、
 

 

みなさんがいることが、わたしの希望で支えです♪
 

 

 


どうか、この命ある木造の学校が

来年、年明け早々に壊されようとしていて、

町も教育委員会もおじいちゃん達もおばあちゃん達(地元の方々)も移住者の若い世代も、本当はみんなこの建物を村に残こせればと思ってるけど、

『お金がない』

『自分はお金を持ってないから台風で屋根が吹っ飛んでも責任なんかとれない』

『歳をとってるから』

『町が財政赤字だから』

 

『これ以上老朽化したら、町以外に個人で誰が取り壊せるんだ…』
 


お金がないという思い込みに端を発する遠慮や恐怖や不安によって

村の人の心のよりどころと、文化的価値と、智慧とが

一辺に打ち壊され、消え失せようとしてることを、

どうかシェアしていただけませんか?? 

 

 



わたしは誰よりもこの建物の価値と魅力を知っています。

そして同じように価値と魅力を感じてくれる方がこの世にたくさんいることも知っています。

あと必要なのは、同じ感じ方をする人と

出会い、共鳴し、共振し、

お金を引き寄せること。



 

お金は、どこかに必ずある。


 

この建物がまだ生きて役割を全うすることが必要なら、

 

宇宙が必要なお金を届けてくれると思っています。


さぁ、遠慮も恐怖も不安もばっさばっさ捨てていきたいと思います。


思い描くのは子どもたちが笑ってて、明るくて優しい、温もりがあふれたあの空間。


そこに、もうわたしはいる!


 

 

 




【地域の紹介】

学校の所在地は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町色川地区です。
県の移住推進地域にも指定されていて、移住者は人口の半分近くにものぼります。棚田と石垣と山とが日本のマチュピチュ的風景を織りなし、今も家々からは薪で風呂を沸かす煙が上がりどことなく懐かしい風情が漂います。

1970年代~80年代、都会から移住した初期のメンバーが有機農業を志し、また地元の方と茶の有機栽培を共同で始めたことから、現在でも有機農家や自然栽培農家、平飼いの養鶏業を営む人が多く、色川ではお茶から米、野菜、果樹、肉(ジビエ・廃鶏を含む)に至るまで、幅広く安心・安全で作り手の分かるものがそろいます。車で少し行けば温泉、日本一高い那智の滝と熊野古道、海(クジラ&イルカウォッチング、ヒジキに天草、サザエにアワビ、ナガレコ)、地域内はもちろん町内全体が自然の恵み満載です。

 

 

わたしは6歳から18歳の12年間を自然にすっぽり包まれてこの地で過ごし、進学や放浪で数年間離れた後、2010年に帰郷しました。今も昔も、この色川という地域も、人も、そして那智勝浦も、紀州全体ひっくるめて僻地すぎるところが大好きです。

 



色川に、そして学校(リノベーション・利活用・廃材の活用・移築)などに興味を持たれた方がおられましたら、ぜひご連絡くださいラブラブ

またどんな些細な情報や感想でもかまいません。
メッセージや応援のコメントも絶賛募集中です虹

 

 

どうぞよろしくお願いしますおねがい






 











 

 
















 

 

 

 

 

 



 





















 

今日は思いがけず平和で心温まる一日になった。


受診するのが怖くて仕方なかった病院に、頼んでないけど私の心中を察してか、旦那さんと息子が一緒について来てくれた。(どうして怖かったのか、何がイヤだったのか、心の整理がついたらその内別のブログネタとして書きます。)
 

 

受診が問題なく終わり、みんなで海へ行ってトンビに狙われながらピクニック、それから磯あそび。

 


 


帰って来ると友達から宅急便が届いていた。中には赤ちゃん肌着やかわいい布オムツカバー、温かそうな妊婦服が入っていた。
愛の塊みたいな贈り物。(早速オーガニックコットンの肌着&ウールの靴下を着用♪温っかほこほこラブラブ

 

 


夕方旦那さんと息子チームが籾すりをして、私が犬の散歩。


籾すりが終わったばかりの玄米を精米機で5分づきに。それを丁寧にといで、炭火でご飯をたく。

 

 

 

 

慌てず落ち着いて料理したせか、今日は焦がすことなく絶妙な焚き具合に仕上がった。

 

 

 

今年初の新米のお伴は、アジの開き、ひじきの煮物、モロヘイアのおひたし、さつま芋のお味噌汁。
ザ・日本食。

 


毎年新米の味は格別。今年は初めて苗作りをしたり、レンゲ農法を取り入れたり、炭や灰を播いたり、田植えの時期を遅らせたり、とにかく色々やってみたのでその工夫(というか苦労?笑)のせいか、特に美味しく感じられた。4合炊いた米がもう残り少し。明日の昼の弁当用は別でまた炊かないとな~
 

 

 


あぁなんか守られてるな。
愛たくさんもらってるんだなぁ。
もっと安心していいんだな。
と、改めて感じた一日。

 

 

 


ないないメガネを少し脇に置いて(これがなかなか出来ないけど)ゆっくり無理せず歩けば、自然とあるあるメガネを装着できているのでしたグラサン






 


















 

朝晩やっと冷え込むようになり、昼間は秋らしい青空が広がって嬉しい。

 

先週雨の合間をみて急いで脱穀したお米。
田んぼでの乾燥が完璧じゃなかったので、家の前の道路に広げてもう一度干す。

 

 

 

 

 

お米って乾燥しすぎてもよくないらしく、美味しのは水分量が15,5%くらいの時なんだそう。逆に乾燥があまいと虫がわいたりカビたり…天日干しのお米は何かと手間がかかる。

だけど手をかけた分美味しく感じられるし大事に無駄にせず食べようと思える。

 

 

もち米は明日脱穀。こちらは今週の安定したお天気のお陰で、脱穀したらそのまま保存できそう。籾まき・苗作りに初めて挑戦した今年のお米作り、気になる収穫量は去年と同じくらいになりそうだ。どうか来年まで一年、食いつなげますように!

 


 






三歳になった春、田んぼで

 

 

息子は3年半前、助産院の畳の上で生まれた。

生まれてすぐに胸に抱き、その温かさを感じた時は本当にうれしかった。

その後まもなく小さな体をよじっておっぱいを探し出し、自分の力で吸いついた時には、
あんまりにも可愛いくて生命力に驚いて、これが私の赤ちゃんなんだ!と思って感動した。

 

 

 

お産と言えば多くの人が病院を思い浮かべるが、わたしには
”自宅出産”か“助産院”の選択肢しか頭に浮かばなかった。

母から”あなたは助産院で生まれたのよ”と聞いて育ったせいかもしれないし、姉が助産院で2人出産し、一度は立ち合っていたせかもしれないし、友人・知人達が何人も自宅出産していたせいかもしれない。
 

 

 

助産院は赤ちゃんはもちろん、お母さんにも精神的肉体的ストレスが少なくて、お父さんも出産の重要な役目を果たせる、お産にはぴったりの場所だと当たり前のように思っていたので、世の中に「助産院で出産することは病院での出産より危険だ」と感じる人がいると知って、衝撃を受けた。
 

 


自分にとっての当たり前が、世の中ではそうじゃないんだ、と。
 

 

 

 

ヨホ研のテンダーが作った「助産院での出産」の動画が短いけど(1本2分)助産院のよさを伝えていてすばらしいと思ったのでシェアします音譜

テンダーって誰や?ヨホ研ってなんや?→ヨホホ研究所HP

 



【産前編】

​助産院でのお産が安心で安全なものであることが妊婦さんと旦那さん(←職業ヒッピーのテンダー)の表情から伝わってきます照れ
 



 

 

 

 

 

 

【出産編】助産院にもよるかもしれませんが、自分の楽な姿勢を探して態勢を変えながら、イスやクッション、丸めた布団を利用して痛みを逃がしながらお産に臨むことが出来ます。分娩台はありません。わたしの時は3人の助産師さんが付きっきりで足や腰をマッサージしてくれましたラブラブ


旦那さんの他に姉妹、母親、上の子ども達など、妊婦さんが望めば複数の人が出産に立ち会えます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【産後編】

産後は胎盤を見せてもらい、へその緒も病院ではすぐに切れらてしまいますが、ゆっくりと時間をかけてへその緒がきちんと最後までその役目を終えてしなびてきてから切ることが出来ます。

 

数日の入院中は個室が割り当てられるので、赤ちゃんとお母さんと訪ねてきた家族が家にいるようなリラックスした気分で過ごせます。最初の方は起き上がれないので、助産師さんの作ってくれた手作りの体に優しいご飯を、旦那さんに食べさせてもらっていましたドキドキ

 

 


 

 

 

 

日本にはかつて村ごとに産婆さんがおり、家の者が協力して産婆さんを呼びに行ったりお湯を沸かしたり、部屋を暖めたり、そうやってそれぞれの家で赤ちゃんを迎えてきたという歴史がある。

 


助産院は、家庭のような温かさを持ちながら、病院(現代の医療)とも連携してお産を確かに安全なものにすることも怠らない、日本が誇れるお産の文化だと思う。


チェコ在住の友達から聞いた話では、ヨーロッパの出産事情は日本より厳しく、助産院のような中間的な場所がないため、病院で産むか自宅で産むかの2択を迫られることが多いそうだ。

 

 

助産院は女性性の「わたし」も波のように変化する「からだ」も最大限に活かして、楽しんで出産できる場所。
 

助産院という場所が、これからますます必要とされるだろうし、女性がごく一般的な選択として助産院で産むことを選ぶ時代が遠からずやってくると思う。

 

 


未来は明るい虹

 

 

 

数日前から羽仁もと子選集「人生の朝の中に」を読んでいる。


”この生(いのち)の使い方”という章では、仕事というものが人が自分を輝かせるための絶好のツールであること、また仕事に取り組む姿勢についても細かく書かれてあり、(→詳しくは昨日のブログに。読んでいただけると嬉しいですドキドキ)指針となるような言葉にたくさん出逢えた。

 

 

 

そして今日は“子供は弱者なり”という章を読んでいて、子どもとどう接するかという指針を得た。

 

子供によい環境を与えればよくなるといいますけれど、そのよい環境のもっとも重大にして中心的なる要素は何であるか。まずこちらの誠意をもって、子供達の中に隠されている同じものを自然にめざましてゆく、その教育者と被教育者の相互(あいたが)いの結びつきではないかと思います。そしてそのことさえあれば、物質の不自由にも周囲の無理解にもずいぶん勝つことができるように思います。

 


 

この言葉は、日々家庭で息子と接する時の心得になるのはもちろん、数人のお母さん仲間と一緒に今後、自分達の子どもを週末や保育所を休んだ日に共同保育していこうと話している今、とても励みになる言葉だ。

 

 

 

わたしは羽仁もと子さんが書いている、まさに「子供たちの中に隠されているものを自然にめざましてゆく」ような保育、そして大人・子どもという立場を超えて人間として「結びつき」合える
人と人との信頼に依った、魂と魂がふれあう保育がしたいと思っている。

 

 

いよいよ自分たち母親の手で保育をしようと考え出したのは、息子を保育所に入れたこと、そしてわたし自身が(息子が通っているのとは別の)保育所で働き始めたことがきっかけとなった。 

 

 

息子を保育所に預け出したのは去年の冬。まだ3歳前で、おっぱいも吸っていて大のお母さんっ子だった。一方で、どんどん自分の世界を外へ外へと広げていた時期でもあり、友達や集団の中で遊び始めるにはちょうど良い頃合かなと思い、車で15分かかる保育所へ入れることにした。
 


何しろ周辺に住んでいるのはおばあちゃんばかりで、村全体で10人にも満たない同じ年頃の子たちと遊ばせようと思うと、保育所に入れるのが一番手っ取り早かった。加えて2年半以上、ほとんど子育てだけにかかりきりになっていたので私自身にも息抜きが必要な時期だった。


保育所入所と同時にわたしはパートの仕事を始め、母子で過ごす時間はそれまでと比べずいぶんと少なくなった。その分一緒にいる時間はなるべく密に関わるよう心がけた。

 


「保育」という経験を家庭の外で、家とは全く違った環境で、しかも複数の子どもを相手にすることは、同じ人間でありながら瞬間瞬間を生きている、大人とは全く別人種の「子ども」という尊い存在についてたくさんの発見や新鮮な驚きがあり、毎日がとても楽しかった。

 

 

同時に、息子を保育所に預けることと、「決められた保育」を仕事としてこなさなければならないことに対して日々たくさんのジレンマも感じていた。

 

 

働いていた保育所でも息子を預けている保育所でも、カリキュラム的なものや規則・決まりがやたらとあり、子どもの生理に合わせた保育というよりは、大人の都合に合わせた保育が当たり前のように行われていたからだ。

 

 

 

例えば2歳に満たない子がどんなに椅子に座るのを嫌がっても、「今は○○の時間だから」という理由(大人の都合)で椅子に座っていることを求められたり、

 

水遊びが大好きな子に、手を洗う以上の水遊びが許されなかったり、

 

お帰りの時の準備で帽子と靴を履く順番が間違ってはいけなかったり、、、、

 

 

 

とにかく「あれはダメ、これはダメ」
「こうでなくてはダメ」ということが多すぎて、 

私は預け始めて、働き始めて、保育所という場所を知るにつれて、
 

 

 

「これが果たして子どものための居場所なんだろうか?」
 

 

 

 

「子どもたちが心から笑って遊びまわってもっとその子らしく
いることが尊重される空間はないんだろうか?」

 

 

 


「そういう保育の在り方がサービスとして住んでる周辺にないんだったら、まず自分達で試験的にやってみよう!」 と考えるようになった。

 

 

 

 

子供というものは、いろいろな意味においての弱者です。よいものをたくさんに持っている弱者です。したがって子供の世界も弱者の世界です。子供の世界はまた子供自身の目にも親の目にもはっきり見えない、いろいろよいもののたくさんある世界です。子供の世界の有望なのは、いうまでもなく、その中にいろいろよいものを持っている故(せい)ですが、またいま一つにはその弱者であるためです。(中略)
教育は深遠なものであるだけ、一方において気の長い仕事であり、それなのに他の一方においては、油断も隙もならないほどに速度の速い仕事です。子供という微妙な活きものの世界であるからです。


 

 

 

子供たちの弱みを、その教育上によく役立てるのには、子供より知恵のあるおとなは、決して自分の知恵にまかせてよい加減に扱ってはならないことです。
どこまでも誠実に正直に、子供たちの中にあるかれらのまだ心づかない、よいこと悪いこと物の道理やほんとうの人情を、どうして教えたり伸ばしたり退治したりしてゆくことが出来るかと、あらんかぎりの知恵や力を傾け尽くしてもなお、及ばないことを感じているのでなくてはならないと思います。なぜなら、(略)弱きがゆえに謙遜な子供たちには、私たちのよいことも悪いことも、実によく吸収されてゆくからです。

 

 

 

「いろいろよいもののたくさんある世界」の住人、子ども達と共に遊び、共に笑い、共に泣く、大人だけど子どもみたいな大人になって、そして最終的にはわたしも近い内にいつか、「いろいろよいもののたくさんある世界」の住人になりたい。

彼らと同じ心の純粋さで虹