お山の生活火のある暮らし 

お山の生活火のある暮らし 

楽しくてがんばらない脱力系田舎暮らしをしています。
人や自然、動物、自分との関わりについて、生きることに関係あること全般、山で暮らしながら日々感じることを綴っています。

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去年出会った最高の一冊は「愛のエネルギー家事」という本でした。

題名の通り家事を愛のエネルギーで行うことについて書かれた本です。

家事を愛で行う、という視点は今までなかったので

目からウロコが何枚も落ちました。

 

これまでの単調な家事のひとつひとつーお皿洗い、台拭き、料理、洗濯たたみ 

ーこれらがわたしの体と手を通して家族に愛を伝える最大で最高の仕事・志事であると気づいたときの衝撃といったら!

 

 

どんな方がこの本を書かれたのか気になり調べていたら、著者のマキさんのブログに出逢いました。出逢って以来、ずっと読み続けています。

安心な気持ち、身体がふわっとゆるむような空気をまとった言葉をいつも届けてくださいます。思えばコロナが流行りだしてから必要以上に不安にならなかったのは、マキさんの届けてくれる言葉がいつも心に柔らかなろうそくの火のように灯っていたからかもしれません。

 

今日もそうそう、今まさに!と膝を打ちながら読みました❤️

 

 


きっともう何も心配しなくていいんだなぁ

気づいた人からただ愛の存在で生きるだけ

だけ と言っても長年愛以外の 

効率だとか体裁だとか頭優先の

尺度ばっかり採用してきたから

ひとっ飛びに愛の存在で自分や子どもや家族と

接すると言ってもなかなかこれが上手くいかず

四苦八苦

それでも少し前の自分と比べると

驚くほど愛がいっぱいむねに満ちている感じがする

これも時代柄、宇宙の後押しのおかげかしら、と思う

 

愛の存在で生きることを圧倒的に後押ししてくれた

もう一人の方(?本)を次のブログで紹介したい

 

久々にブログを開くきっかけになった方

 

愛と希望に満ち満ちた方です

 


6月に2人目の子どもを出産した。一人目の子を産んだのと同じ助産院の畳の上で、夫と上の子、姉と母、甥っ子2人、助産師さん2人に見守られて、温かくて幸せなお産だった。産後2週間目にお決まりのマタニティブルーがやってきたけど、どこかで”あぁこれはホルモンの仕業~♪”と思うと楽になって、気付いたら心の嵐は過ぎ去っていった。

 

赤ちゃんのお世話を理由に最大限引きこもって、最小限の家事で日々過ごしている。

 

手を抜く。しんどかったらしんどい、出来ない、手伝ってときちんと周りの人に伝える。頼る。寝る。休む。

一人目の時には全然意識してなかったことを、意識してやるようにしている。そうでないと、自分の性格上、しんどいのに無理して疲れた挙句キャパオーバーで周りに八つ当たりしてしまうから。今もたまにやってるけど(笑)

 

4年ぶりの赤ちゃんは本当にかわいくてかわいくて、あくびもおっぱいに吸いつく唇もおしっこの前に顔をしかめて泣くのも、一挙一動が全て愛おしくて、そんなに可愛いと思える自分も愛おしくて、子どもを産み育てるって幸せな仕事やなぁ、ってしみじみしたり。

 

今日は台風の中義父母が遠くからお孫ちゃん達に会いたい!とやってきてくれた。雨なんてなんのその、上の子を町へ遊びに連れて行ってくれた。私はのんびーり自分時間を持つことができて、Happyちゃんの「パラレルワールドとオーバーソウル」の方の動画を見た。

 

私が見ていて一番勇気づけられた内容は、「宇宙のエネルギーは拡張、繁栄、世界は良い方へという方向へものすごい勢いで流れていて、だからあなたが少々くよくよしたり、ネガティブなこと考えても、それをはるかに上回る台風が過ぎた後の川の濁流のごとく強力なポジティブなエネルギーが流れてるから、大丈夫!安心してネガティブになったらいいし、悪口言ったらいいし、落ち込んだらいい。ネガティブが全部具現化してたらもうとっくに人類滅亡してるから!」みたいな箇所だった。

そうかーそうなのかー!大丈夫なのかー!繁栄エネルギーの濁流かー!

 

ネガティブになっても、落ち込んでも、憎んでも、つらくて不安でも、それはみんな魂が自分で経験してみたくてやってること。だから大丈夫。

ゼロに戻ればいいだけ。

たっぷり負の感情を味わって、浸って、ボロボロになって、それからゼロに戻って来たらそこからまたゆっくり歩き始めればいいわけだー 

焦ることも、人と比べることも何もなく、ただ自分の感じるままに歩けばいいんだなー

うん、それなら出来そうな気がする。

 

池川先生の講演DVDに出てきたチャイさんも「人生はみんな最後はハッピーエンド」って言ってたな。

私の周りにはここ10年そういう情報ばかりが溢れているのに、事あるごとに過去に思考が戻るので、しょっちゅう足元を掬われてしまうけど、そろそろ本当に過去でも未来でもなく今の自分を見て、自分の声に耳を澄ませて今を歩こう。

 

 

 

今日はものすごーく鬱々した気持ちだったけど、大好きなお菓子作りをしてると気分があっという間に晴れてきた。嫌なことがあったときは手を動かす、体を動かす、これに尽きる!

5月のイベント出店にむけて試作中の人参マフィン。友達の有機農家さんの人参を八朔の絞り汁で蒸し煮にしたものを加えてみたら、見た目にもつぶつぶ人参がかわいらしいマフィンが出来て幸せ照れ

 

 

5年以上前に愛読してたお菓子の本に図書館で再び遭遇。

「がちまい家のオーガニックな焼き菓子」

 

 

バターを使ったレシピも油を使ったレシピも両方載っててうれしい。今回はなかしましほさんからちょっと離れて、この本のレシピを参考に作ってみた。

 

分量/ 6個分(9号よりもう一回り大きいマフィン型)

薄力粉 200g

B/P 小さじ2

洗双糖 50g

豆乳 50cc

菜種油 65g 
卵 2個 

人参 90g 八朔/レモン果汁/水 大さじ2 弱火で蒸し煮にして冷ましておく

夏ミカンジャム大さじ2

くるみ 40g


 

この本の元レシピでは油80cc。少し減らしてみた。60ccでも充分な感じがする。


自分や子どものおやつに作るなら素朴ななかしましほさんレシピが好き。

 

 

 

 

 

こんだけ油入ってたら絶対美味しくなるよね~というのが白崎裕子さんレシピ。

 

 

 

 

卵やバターを使わなくても美味しくお菓子を作れるコツや原理を丁寧に説明してくれてるので、レシピだけじゃなく読み物として楽しいお菓子本。プレゼントするにはレシピ通り作ってリッチな仕上がりに、家で食べる時は油をだーいぶ控えめにして作ったりしている。 

マクロビ系のお菓子本に必ず登場するアーモンドプードルは、炒り米ぬかか全粒粉で代用。全然違うけど(笑)身近にあるもの使う、ということで。


もうすぐ米粉が届くのでそろそろ米粉スイーツのお菓子本も一冊欲しいな~  お菓子のこと考えてると幸せー照れ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待ちに待った雨がやっとふりだした。
田植えが比較的早い私の住んでいる地区では、毎年3月上旬から田んぼの準備が始まる。今年は(も?)春になっても雨が少なくて田んぼになかなか水を入れられなかった。

水不足の原因は雨が降らなかったことだけじゃなく、米を作る人が年々減り休耕田が増え、次第に水路も荒れ果て、この辺りは棚田なので集落の上の田から下の田へと順々に集まってくるはずの水が全部途中でどこかへ逃げてしまうようになった。

 

こんな状況やからこそ、雨がまとまって降る6月に田植えをする、旧暦に合わせた米作りをする方が合理的。そうは思うものの、地元の方と足並みをそろえることも大事なので、半人前の私たちは今年また、4月田植えの9月稲刈り、苗はJAから買う、という一昨年までのスタイルに逆戻り。

 

 

3日連続の雨。旦那さんは田んぼの代掻きに忙しそうだ。妊婦の私は雨に濡れるわけにもいかず畦塗りにも出かけられないので、ずっと延ばし延ばしにしてた味噌を仕込むことにした。

 

2、3月に作っておいた米糀と麦麹を、広島の知り合いの有機農家さんと、近所に住む友達から分けてもらった無農薬の大豆と合わせる。大豆はうちの炭を使って七輪でコトコトと煮た。

今年は納得のいく玄米糀ができ、これは普通の味噌に。初めて作った麦麹は憧れの麦味噌に。両方を少しずつ取り分けて白米糀を足した甘めの合わせ味噌も作ってみた。

 

麦麹を作るのが米糀に比べてびっくりするほど簡単だったので、来年は味噌用に大麦育ててみたいな。やけどやっぱり米糀のあの甘い芳醇な香りが大好き。糀から作る甘酒も最高!

今年もお米いっぱい採れるように田んぼがんばるぞー!

 

 

 

 

 

 












 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新月から5時間がたつ。フルムーンウォーター作ってから寝よう(もちろんあの青い瓶など持ってないけど)と思いながらこたつでうたた寝。

結局作らぬまま夜中に起きた息子を寝かしに布団に入り、それから私は寝つけず4時半にごそごそ起きだした。フルムーンウォーターは作れなかったけど、ならば自分が月光浴すればいいやと生姜をたっぷり入れた甘酒を片手に外へ出た。いつもより暖かい夜。
真っ暗な星空を堪能してから部屋に戻ると中の気温は10,6℃だった。やっぱり暖かい。明日のお天気は下り坂だろうか。それとももう本格的な春がそこまでやってきてるんだろうか。

 

布団の中で、星を眺めながら、ぐるぐる色んな事を考えていた。
離乳食のこと、予防接種のこと、おっぱいや妊娠中の体のこと、食事や健康法のこと、ナリワイのこと、お金のこと、これから始まる田んぼや家の修繕のこと

それでふと思った。宇宙的に見て「正しい」とか「正しくない」というのは存在しないというけど、それは言い換えるときっと、「今何が必要か」は人それぞれその人の今この瞬間の体や心、細胞の状態によって違うということなんだ、と腑に落ちた。

この生き方が正しい、この農法が正しい、この食事方が正しい、この育児法が正しい、、、もしかしたら「より健やかに生きられる」みたいなものはあるのかもしれない。
けど、それは「正しい」こととは少し違う。

例えば、玄米菜食を厳格に実践しすぎて体調を壊し、今度は一転糖質制限の食事法を推奨している人を見たことがあるけど、どちらの食事法が正しいとか間違っているというわけじゃなく、きっとその人の体や心が欲していた食べ物は生きている限りどんどん変わってゆくのに、食べているものが「○○法」に縛られた範囲内のものだけだったために、移りゆく心身の状態に必要な何かが欠けてしまったんだろう。それは肉だったかもしれないし、バターだったかもしれないし、白米だったかもしれない。

 

 

1月から本格的に冷え込むようになり、自然と玄米を炊くことが多くなった。寒い時期、味噌汁に、漬けもの、魚の干物に玄米が最高のご馳走に感じられる。白米、白パン精製したものが大好きな夫も、文句を言わず黙々と玄米を食べている。
真夏は玄米なんて全然食べたくならない。 

 

あまりにひどい便秘に悩み、少食を始めて1か月がたつ。おなかがぐ~となるほど少食で過ごすと本当に清々しい。でもいくら少食と言っても、毎日体が欲している量も食べ物の内容も違うということに気付いた。

 

例えば鶏のエサを仕込む日は、火を焚いたりぬか袋を担いだり魚のアラを混ぜ込んだり、とにかく私にしては体を良く動かす。そんな日は卵や肉のおかずを食べたいし、ご飯も美味しくて仕方がない。食べた瞬間から体が待ってました!と栄養をじょわ~と吸収してる感じがする。

山で木を切る肉体労働をする夫と専業主婦の私と4歳の息子。体が欲するものはみんなそれぞれ。だからうちは菜食!ビーガン!糖質制限で穀物はなし!とかにはならないし出来ない。

 


もうひとつ、物質的にも感情・心理的にも敵を作らない生き方について。

東洋医学では病気は敵ではないと言われている。例えば癌は放射線や抗がん剤で撃退するべき敵ではなく、血液の浄化装置。
 

先週まで2か月近く原因不明のひどい咳が続いていて、治れ~なおれ~しんどい~と症状を完全に敵扱いしていた。痰絡みの咳になってきた時、「あ、体の外に要らないものを出してくれてる咳だったのか」と思いを転換できた。その後1週間で嘘のように咳は消えて行った。


リーキーガット症候群の人が増え、グルテンフリーが流行っているけど、敵は本当にグルテンなんだろうか。解決策はパンを食べない、パスタを食べない、小麦製品を生活から排除することなんだろうか。イタリア人がグルテン不耐症になったら、米粉のパスタを食べるんだろうか。
 

グルテンは確かにアレルギー症状を引き起こすし、小麦のお菓子やパンは少し口にするともっと食べたくなる。小麦には確かに中毒性があると私も体で感じる。
 

 

でもパン種をおこしていて思った。グルテンや小麦自体が体の敵なんじゃない。昔の人も、家や野菜や果物に住みついている菌が小麦と水を練った物を膨らますと知って、美味しいパンになるんだ~!菌が美味しくしてるのか~!とわくわくしてパン(のようなもの)を作ってたんだ。

 

 

 

(右上が発芽玄米ヨーグルトと一昨年収穫した全粒粉で起こした酵母)

 

 

市場に出回っていて私たち消費者が一般的に買える小麦は、昔の人がパンのようなものを焼いていた時代の小麦とは全く別物だ。

 

*過剰に品種改良され、農薬たっぷりで栽培され、真っ白に精製された小麦。それ自体は善でも悪でもない。なぜそれが産み出され、市場を占めているのか。


*新生児のアトピーやリーキーガット症候群、なぜ腸がそんなにも傷ついているのか。何が腸壁を傷つける原因なのか。


この2つを同時に掘り下げたら結局現代の生活の在り方(生産性ありきの大量消費社会)や産み方(病院・管理出産)、教育(家庭や学校での思い込み、刷り込み)等々に行きつく。

ここでもやっぱり何が「正しい」はなく、気付くこと、「思い・設定」を変えることが有効なのだと思う。私の言語能力では捉えたことを上手く文章化できないけれど。


そんなことをつらつら考えていた早朝。
あーウグイスが鳴きだした。さぁ一日を始めよう。




 

 



 

 

久しぶりにブログを開いてみたら、過去記事を最近FB上でシェアしてくださった方がいたみたいで、わたしのブログ史上ありえないアクセス数になっていました。シェアしてくださった方、読んで下さった方々、ありがとうございます♪


去年からずーっと低調な日々をすごしていましたが、年が明けて麹を作ったり発芽玄米や豆乳ヨーグルトを作ったり、発酵遊びをしてたら自分でも信じられないほどに元気になりました。

 

 

 


4度目の麹作り。初めて玄米でも板状になった!だからテンションあがって元気になったのかも(笑)

 

 

 

「気が満ちている」ってこういうことか~ という感じ。



菌に守られている感じがします。

 

 

わたしはいろんなものに守られて、今日も生きている。生かされている。



さぁ、夫と息子が待つ炭窯に行ってきまーす!

 

 

 



気のおけない友達と食べるご飯は最高。元気の源。野菜も料理もつくったのはもちろん友達(笑)


 





今年の8月まで県内唯一現役の木造中学校として使われていた大好きな母校が、いよいよ今週から取り壊されることになった。

 

理由は廃校ではなく、小中合同の新しい校舎がこの超過疎の村に建って校舎としてはもう使われなくなったため。

 

合同校舎の新築も旧校舎の取り壊しも、国からの補助金があったから為されたこと。(過去記事はこちら
 

 

お金はもちろん良い働きもたくさんするし多くのことを解決できるけど、必要なステップを踏まずに急に流れ込んでくると色々なものからバランスを奪い、時に人間関係や物の本質を歪めてしまうことがある。

 

今回の降って沸いたような合同校舎新築の話や旧校舎解体までの一連の出来事は、地域の大多数の人や行政の人がお金の力に流され、一度立ち止まって時間をかけて考えることや話し合うことを早々にやめてしまった良い例だったように思う。

 


個人的に建築家の方に何度も相談し、学校以外の用途としてはまだまだ寿命のある建物だということが分かっていて、地域のシンボル的建築だっただけに、重機での取り壊し→全てゴミ扱いという結果はとても残念で胸が痛む。

 

材はこの地域の山から65年以上前に全て手作業で切りだされ、地元の大工さんの手によって丁寧に扱われたものだったから余計に無念さは広がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ゴミにする以外のやり方も色々あったのに、それを知っていたのに行政にも地域の人にも上手く伝えられなかった自分に対して苛立ちと無力さを感じ続ける2年間だった。

自分で自分を責めても無関心や無理解な周りを責めても有益なことは何もない。

 


 

ただこれからも、この場所でまっすぐ前を見て、大事だと思うことを日々積み重ね、おかしいと思った時には声を上げ、やりたいことや自分に与えられた役目は全力でやる、そうやって愚直に生きて行こう。