久しぶりのブログを書くというのはなかなかの緊張感をともなう。だって、別にこれと言ってなにがあったから書くわけではないわけで、でももちろん、毎日それなりに精一杯に生きていれば、何もないというわけではなくて、とすると。


何を記して何を記さない?みたいなところになる。


人間は朝目覚めてから眠りにつくまで毎日35000回の選択をしているそうで、そしてそのストレスに脳はちゃっかり疲労して、1日の後半になるともうくたびれて、めちゃくちゃ適当な選択をしてしまうらしい。


そういうことをさけるために、いらない選択の機会を減らすというのが一流の生き方という。服に興味がないなら毎日おんなし服を着るとか、小腹を満たすには牛丼、と決めちゃう、とか。


たいせつなことをしっかり悩めるために、どうでもいいことは考えすぎない、てことらしい。すごく納得した数分後に変え直したけど、果たして、大切じゃないことなんてあるんだろうかとも思う。


興味のないことにかけるエネルギーを節約するのもかっこいいけど、なんか、世界の歪みに色を塗ったときにうっかり生まれるなにかしらの物語にしかときめかない自分としては、どうでもいいことを特別なこととして、費用対効果なんて度外視で悩み続ける方が、なんか、きらびやかな気もした。大変だろけどね。



「ねえ、やっぱ、カニ死んじゃったよ」

と言うLINEが朝一番に友達から来る夢見た。


そうだ、昨日、友達と街を歩いて、居酒屋などで食事をし、一緒にそれぞれカニを買って帰ったんだった!と思い出し、急いで自分の水槽を覗く。


こっちの水槽ではカニは生きていた。水草なども入れられた、それなりにやる気のある水槽だった。そして、なんかグッピーまでいた。


カニは生きてる。だけど、いるはずのないグッピーがいて底抜けに怖い気持ちになってる。そちらは大丈夫か。友達が胸を痛めながらカニの埋葬をしている姿を想像し、こちらも苦しくなりつつ、電話したら、友達はすぐに、「そっちいく」と、家にやってきた。


そして、「草に卵がついてたんだね、グッピーの卵。カニ、食べないといいね、グッピー。」と友達が言った。


11月30日の朝である。2022年11月最後の夢。


。。。。

とにかく創りたいものを創りまくる日々を過ごしてる。粘土を見つけたら粘土をこね、紙を見つけたら絵を描いたりしてる。鼻歌が盛り上がれば楽器のところに行ってメモなどし、朝早くからハムレットの稽古に通い、年末の個人イベントの準備をひたすら楽しみ、執筆を4本進めながら、劇団員で集まり作業をしたりもしてる。なんかぜんぶ、小学生の頃には遊びとカテゴライズされていたものばかりで、不安にもなる。自分はいつか大人になれるのだろうか。


さあ、寝よう。明日も朝早くから稽古なのである。11月のうちにブログを書こうと思ってたのに、気付いたら12月だ。こんにしわ。こんにしわっす。走るぞ。別に、師じゃないけど。


おやすみ

おやすみなさい


よくがんばりました。

もう、なにからなにまで、あなたをこうていします。


おやすみなさい。

おしあわせに。


またあおう。


おやすみ。




【あ】

あさとても早くに起きて、絵も描き、仕事もやり、運動までして、準備万端で現場へ出発。よし、がんばるぞ、何かあっても挫けまいぞ、と電車に乗ったら現場から連絡。なんてこと。入り時間を1時間も間違えていた。遅刻。挫けまいぞ。挫けまいぞ。いや、少しは心折れるべきかと思うくらい現場に迷惑をかける。挫けた方がいいのかもしれない、礼儀として。と、思うけど、「挫けてるのだから許してやろう」という価値観はあんまりよくないとわかってる。なにより、調子良く現場に入って、巻き返すことでしか罪滅ぼしはできないじゃないか、と思うのだ。が、なかなか、そうもいかない。半泣きになる。


続報。


その後。慌てるがあまり、さらに、電車を間違えた。走って乗り換えをしている最中に、即座に掲示板が目に入り「こっちの電車の方が早いじゃない!?」と、違う地下鉄に乗ってしまったのだ。


同じ終点に向かうものの、遠回りをする電車だった。


素直に、調べて出てきた電車に乗ればよかったのである。ほんとにもう、いたたまれない気持ちになる。


さらに続報。迷子防止のために迎えに来てくれたスタッフ(ポンコツすぎる自分のために特別に、用意してくださってる天使のようなひと)との待ち合わせを無視して走って現場に向かおうとしてしまい、さらにタイムロス。


生きることは難しい。



【い】

いつからか、栗ご飯が実家の秋の定番メニューから姿を消した。でも、大好物だった。栗は好きだ。愛してる。ケーキもモンブランが好きだ。昨今は、栗以外のモンブランケーキもあるけれど、やっぱり、栗のモンブランが好きだ。


先日、「栗ご飯食べたい」と母にリクエストをして、ふたりで栗を買いに行った。なかなか見つからなかったし、見つけたそれも、母に言わせると、なかなか、例年よりも値段が高いらしい。なんでかんでも値上がりしているという噂は知ってる。


小さい頃は栗なんかは近所で拾って持って帰って調理してもらったもんだけど、近所のどこを探しても野良の栗などは見つからなかった。値上がりした栗を買ったが「まあ、育てて、収穫して、トゲトゲの殻を剥いて、洗って、包んで、なんなら包みの網を作ってる人もいて、スーパーまで届けてくれた人がいて、スーパーの棚に並べた人がいて、スーパー掃除する人がいて、レジの人がいるわけだから、このくらいの値段で高いだなんて言ってたらだめだよね」という旨のことを話す。ありがとな!すこし高い値段で買わせてもらうわ!みたいな態度がかっこいいし、いいようにも思う。それに、安くで買うということは、安くで売るということなんだから、誰かの給料は減ってるわけだもの。経済のことは興味ないけど、そのくらいのことはオラにもわかるべさ。


【う】

ウクライナのことも、大きなお葬式のことも、とってもとっても無視もできないけれど、あらゆる情報を訝しく思ってしまうもので、なんとも、難しい。真実を知らないのに思考することの虚しさによって、ぼくらみんな無気力だ。よからん。よからんのはわかるが、そうするしかない。そのことが、よからん。


なんにせよ、喧嘩はやだなあ、ほんとにやだ。もちろん、感情的な喧嘩とかなんかじゃない、誰かの巨大な意図なんかが裏にはあるのかもしれないけど、それならそれのほうがいい。


イマジンを歌いながら「あいつは悪もんだ!」と物事に反対し、攻撃しているひとたちが駅前にいた。意見を交わすことはいい。でも、攻撃や、敵を作ることは、違うんだ、もっと大きな何かでないと、世界は変わらないんだ。


強い人間でありたい。強さとは?


【え】

えらく、お腹がいっぱい。ふだん食事はあんまりしないのだけれど、現場中はご飯が定期的に配給される。それはそれとして、今日は「消え物」の小道具がたくさんあった。消え物っていうのは、食べ物のことである。で、まあ、撮影や芝居が終わったら廃棄されていく運命であることがほとんどなのだけど、なんのその、食べ物を捨てるなんて許せない、なんて思いながら、ぜんぶ食べていたら、うううううぅー。えらく、お腹がいっぱい。そこへやってくるお弁当。うううううぅー。


【お】

おやすみなさいの時間になってしまった。寝るか。寝るべきだ。最近、仕事の関係で早寝早起きを余儀なくされている。苦痛ではない。いつも意外がられるけど、朝はまったく弱くないのである。なんだか、規則正しく安定感のある毎日が、どうも自分のリズムの規則には正しくないらしく、ちと不安定だ。むずかしい。


だがしかし、ここ数日、現場で初めましての人と出会い続け、お久しぶりましての人と再会し続けている。出会う人たちがあまりに素敵で、幸運に感謝する。人情が固体化したのか?というようなリーダーさんのもとで動いているのだけど、集まる人もとにかく温かい。魔法を感じている。


感謝のうちに

さあ、眠ろうじゃあありませんか


あなたよ、あなた

今日もよくがんばりました

がんばったのでしょ?

がんばったよ

ほんと、いろいろ

よくがんばった

おもいかえしてもみてよ

たいへんだったのお


おやすみなさいまし

よき夢があなたの寝床でくりひろげられますよう


 

象の幽霊を何日か前の夜中に描いた。なんで描いたかわかラズ、でも夕方頃からずっと頭の中にいたから、掻き出した。夜中に幽霊を描くのは少しゾッとする。なんだか、幽霊にそうさせられているような気もする。オバケに会いたい。みんなみんなオバケになるんだったら怖くないのに。秋ですから、柳ゆらゆら風に揺れるのなんて眺めながら、お願い話しかけてよ、お化けの状態でも大歓迎なんだから、と思う。

 

。。。。

 

久しぶりブログ。滞った。本番や仕事があると滞る、でもそれは、忙しいからじゃなくて、なんか、「仕事のことばっか書いちゃうなぁぁ」て逡巡による。連日やることだらけで、自分の心を見失いそうだから、少し自分に輪郭を与える意味で、文字に頼ってみる。書くから、読んで、読んで。

新潟にいったら、こういう、これが、鳥だった。こっちだと、カエルとかだよね。鶴?て思ったけど、ちがうじゃんね、これ、トキだ。絶滅危惧種って、言葉としてとても怖いし、事実としてはもっと怖い。

 

鳥の絶滅に関しては子供の頃から特に胸を痛めるクセがある。モア、ドードー、オオウミガラス、キムネカカ、いろいろ、いろいろ。僕ら、ほかの生き物に優しいぼくらでいたい。

 

末原拓馬も絶滅危惧種、50年後にはもう絶滅してる。

 

絶滅危惧種である、世界に一頭の君よ。「最後のひとり」なのに、こんな自分と関わってくれてありがとうと心から思います。かけがえのない時間を、大切に感じ入りながら生きていけたらと心から思います。

スターパインズでイベントした。25周年アニバーサリー期間だって。呼んでもらえて幸せだった。父との思い出の場所。スタッフもみんな大好きだ。ライブやるときにしか会わないけれど、会ったら「やっほう久しぶり」となる。そういう、人生における仲間見たいのが世界のあちこちに散らばっていることは素敵なことなんじゃないだろうか。

 

ソロ公演は、やってよかった。歌ったり、独り芝居をしたり、喋り続けたりした。散らかってしまったけれど、人生における久しぶりの自由時間だったような気がする。またやりたいなと思う。自分の中の衝動みたいなものが絶滅してしまわないように、僕らはたぶんすごく気をつけて生きていくべきなのだと思う。

9月が終わるだなんてすごい。リュズタンが終わって、終わるまでは手をつけられなかったことや、お待ちいただいていた打ち合わせなどをやっていたら、1ヶ月が終わってしまった。

 

明日からは、また新たな現場。月半ばにやった衣装合わせの時に「髪型はそのままで」、と言われた関係で、伸び続けている髪。うねりは増して、色は、どんどん茶色くなっている。

母と散歩などをするのがここ最近のお気に入りの時間。酔芙蓉という花を見つけて、母が名前の由来を説明してくれたんだが、朝は白く咲いて、夜に向かってどんどん、色を赤らめていくらしい。それが、まるで酒に酔う姿のようだからというのだ。

なんだか、植物というものに流れる時間がどのようなものであるのかとても気になる。昆虫で言うならカゲロウなんかは儚さの代表とされるし、セミだってそうだけれど、花というのも、たった1日だけ咲くと言うそれを、どう考えているんだろうか。晴れた日に咲くものもあれば、雨の日に咲くものもある。戸惑いを感じない。植物にとっては、別に、芽吹く日も、茎を伸ばす日も、葉を広げる日も、蕾をつける日も、花ひらく日も、花しぼむ日も、枯れて種落とす日も、たぶん、全部、同じように普通で、同じように大切な日。そうじゃないのかな。だって、種はまた芽吹く。輪廻転生だとか、命のバトンだなんて「大袈裟すぎるよお、あはは」てくらい、当たり前の、あっという間な永遠を感じたりもする

 

おはよう!きょうもいろいろなことがおこるだろうね。わらったりできたらいいけど、ないたり、おこったりもするかも。でも、しんぱいしないで。ぜんぶぜんぶふくめて、たいせつないちにちだったと、きみはいつかおもいだす。おそれないで!なるべくほほえんで。きみには、うまれてきたいみがあるんだ!

飢餓状態の幸せ者もいれば、満腹の不幸せ者もいる。大怪我をして大病を患いながら大笑いをする人もいれば、健康なのに大泣きをしてる人もいる。たくさんの人に囲まれながら絶望する人もいれば、独りぼっちで希望に満ち溢れてる人もいる。あなたが幸せでありますように。

ちょいとまた頼まれて、ささやかな絵を描いた。「ぜんぜん、ほんと、なんでもいいんで!」と言われたけれど、それでも、3日間くらい頭を悩ませてしまった。何に使われるかは、ナイショ。ナイショにしても仕方がないから言うと、メモリアルギフトの中で使う。

忙しいから急いでみかん食べようと思ったら、そこからだいぶ時間かかってしまった。

みんながなかよしでありますようにとねがう。ぼくのすきなひとと、ぼくのすきなひとが、どうか、すきどうしでありますように。ねがえども、ぼくにはどうしようもない。どうもすべきでない。わかりつつ、ねがう、いのる。

 

・・・・・・・・・

よし、寝よう。なぜなら、夜だから。

 

今日も1日よく頑張った。

頑張れなかったこともあるかもだけれど、そんな自己嫌悪にも負けず、生き延びた僕らは天才。

 

明日は明日で、きっといい日が始まるとうっすら期待して、

まあ、どんな日だったとしても、過ごして退けるぜ、と

港から海を眺める海賊みたいにふてぶてしく、

 

眠りましょう。

 

あなたと、あなたの大切なひとが、幸せでありますように。

 

 

おやすみなさい。