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去年の秋に 知り合いの息子さんに会った。
お母さんとは いわば「ママ友」で、子どもらが小さい時は交流があったが、
成長するにつれ 次第に遠のき、転居したこともあり、疎遠になっていた。
息子さんは生まれた時から知ってるから、可愛くてたまらず、
中学生ぐらいの時に 可愛さ余って ちょっかいを出したら、
ものすごい形相でにらみつけられたことがある。
そういうのが嫌な年頃に ウザイことをしたのだから当然だ。
今ではすっかり大人になった姿が眩しかった。
照れ臭くてシカトされるかと思いきや、
ニコニコと話しかけてくれた。やっぱり可愛い。

「お母さん、元気?」
二、三、話した後に、友達の実家が陸前高田なのを思い出した。
気仙中学校のすぐ裏だと言っていたっけ。
震災後、気仙沼に帰る時に何度か通ったが、何も無くなっていた。
さらに おばあちゃんが行方不明だと聞いて言葉を失った。
記憶に残っている震災前の高田の風景と、
あの晩、ラジオから繰り返された「陸前高田は壊滅」のニュースと、
メチャクチャになった気仙中学校が ランダムに浮かびあがった。
この数年間、友達はどんな思いで過ごしていたんだろう。
そのあと小中高と一緒だった同級生が亡くなっていたことを知った。
ただ知らないだけで、もっともっと。。
あまりにも払った犠牲が大きすぎて、心の置き場所が見つからない。
「あの日を忘れない」と言うが、実際に経験した人たちにとっては
毎日が受け入れがたい現実との葛藤であって
出来ればなかったこととして 忘れてしまいたい日に違いない。