くらかけ山の雪 | ブドリの森

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            くらかけ山の雪        宮澤賢治
                                                詩集「春と修羅」 第1集より 

 
 
たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
 
野はらも はやしも
ぽしゃぽしゃ したり 黝〔くす〕んだりして
 
すこしも あてにならないので
まことに あんな酵母〔こうぼ〕のふうの
 
〔おぼ〕ろな ふぶきではありますが
ほのかな のぞみを送るのは
くらかけ山の 雪ばかりです

                                      
1922・1・6 
 
 
この詩に歌われている くらかけ山というのは
 
岩手のシンボル岩手山 (2038m) の 山頂から
 
4.2km南東の麓に広がる鞍掛山 (897m) のことです。
 
 
                                    右下矢印 雫石側から見た岩手山とくらかけ山 (右端) 
 
イメージ 1
 
1922年1/6に 賢治が小岩井農場を訪れた時に見た情景でしょう。
 
当時は 盛岡から橋場線(現在の田沢湖線)の汽車に乗り、小岩井駅で下車。
 
そこから小岩井農場内を運行する馬車を利用できましたが、
 
歩くことが好きな賢治は およそ4kmの道のりを 徒歩でむかったと思われます。
 
台風
 
極寒期の小岩井では、降る雪も積もった雪も 粒子の細かいパウダースノー。
 
そのために 少しの風でもが舞い上がり、林も野原もくすんで見え、
 
山の天候は変わりやすく、麓は晴れていても 一瞬で山頂かき消されます。
   
 
                                 小岩井農場 旧耕運部付近から見た 岩手山と鞍掛山
 
イメージ 2
 
 
でも、この詩は単なる情景描写ではなく、賢治自身の生き方を暗示しています。
 
なぜ、くらかけ山の雪しか たよりにならないのか…
 
それには諸説がありますが、ここでは、あえて90年後2012年に生きている
 
自分をとりまく状況の中で感じたことを のべます。 
 
 

 
 
 
震災後、それまで普遍だと思っていた あたりまえの生活のはかなさを痛感しました。
 
そして 高大な山ともいえる 政府や組織が信頼出来なくなったうえ、
 
識者たちはそれぞれ勝手に真偽の分からないような自説を説き、
 
誰でも手軽にインターネットで情報を入手したり、拡散できるようになった結果、
 
膨大な情報錯綜して、何を信じたらいいのか分からない状態に
 
 台風
 
今の段階では「何が正しいのか」 判別するのは 難しく、
 
ある程度、時間が経ってみなければ分からないことも。
 
 
イメージ 3
 
 
地吹雪の時は一瞬、目の前が見えなくなっても、そこで立ち止まって
 
方向さえ 見失わなければ、やがて必ず 行くべき道が見えて来ます。
 
 
まわりの状況に 振り回されずに 落ち着いて じっと 待つこと。
 
小さな くらかけ山でも、うっすらでも見えていれば ちゃんと 方向はわかる。
 
いろいろ迷った挙げ句に やっと たどり着いた 今の自分の心境です。