[ 真 ]
暗闇に人形が立っている。裸の桜子だ。
涙を流す。開いた目。ぬれたまつげ。
「ありがとう。これで次にいけるわ」
「その旅やめるわけにはいかないのか?」
「決めたというか決めてたことだから」
「ちょっとずれるかもしれないけど、おなかの子は6ヶ月なんだろう?!母性とか感じないのか?」
「感じるわ、だから、やめようと思うの。狂人の子はかわいそうだわ。育てる自信は無いわ」
「でも、子供にはつみは無いのではないか?」
「そうだわ」
「もし旅に出たら殺人というか心中か?」
「そうよ、私がいないところでこの子を苦しめたくないわ」
「一緒に残ればいいじゃないか」
「言いたいことはわかるわ」
「ならば落ち着いて」
「落ち着いているわ。最後に誰かに私を見てほしかったの。
あなたが私の最後のお客様、いや最後の晩餐ね」
「本当の理由は何なんだ?」
「わからないわ、わかっていることはなぜ生きるのかわからないということだけ」
「人間はさ、その問題を考えるために生きているんだよ」
「何よ、お説教はいいわ」
桜子は右手でおれを突く。
桜子のその右手には吐きだこができている。歯形が手に赤黒くついている。1回や2回でできるたこではない。
相当永い苦しみか。過食症だ。
たくさん食べて手を口に突っ込み食べたものをすべて吐き出す。
精神病だ。
会って数日しか経っていないしそんなに話をしたわけでもない。わからないその病原が。
「わかったから、とりあえず服を着てくれないか」
「なんか飲む?」
「うん、ウイスキーあるか?」
桜子は居間へ連れて行く。大きなうちだ。
「今日はうまいことに誰もいないの。おじさんのウイスキーもらっちゃおっと」
「これうまいな、高いな」
「そうよ、おじさんお医者さんだしセンスがいいの」
桜子はピアノを弾きだした。
サマータイム。
うまい、きれいだ、悲しい。
「別れなければいけないのか?」
「だめよ、そんなこといっちゃ」
「どうしても待ってほしいんだけど」
「いつまで?」
「明日」
「きっとできない。今日がお別れ」
「桜子、おまえ頑固だな」
「そんなこと無いわ、自分の意志というか自然の声に従いたいだけなのよ。
あなたに何も言わなかったら、今までのような話は無かったと思うの。でもそれは私の脚本にあったとおりよ。
何もかもさらけ出したいと思うの、最後になったら、誰かに。お兄ちゃんがずいぶん安らげてくれたわ。
感謝というか腹が決まったというか」
「その子の父には何か言ったのか?」
「ずいぶん前から会ってないわ。会うと迷惑かけるし、間違えてその人と心中ということになったら彼の将来奪ってしまうし」
「どこでスイッチが入ったんだ?」
「お兄ちゃんしつこいよ。そんなことわからない。本当のお兄ちゃんだったらよかったと思う」
「おれ一人っ子だから兄の感じはわからない。本音を話すと桜子の病気とおれのは部分集合でつながっていると思う。5歳のとき父母は離婚し祖父母のところにいることになった。何のふじゅうも無い恵まれた生活だった。でも
どこかに穴が開いていた、さびしかった。おれは今も母を捜している。お前が父親を追っているようにな。今浪人中だけど、どうしようもなく、母親を探しに沖縄から出てきたんだ。たった一つの手がかりは帯広からの母の最後の手紙。桜子が帯広から来てるということで惹かれたのも事実だ。ま、それ以上にお前は魅力的だ、かわいい」
「ありがとう、なんかすごい最後をくれたみたい、これから泣くから一人にして」