2026年4月9日

 

この日は半日ツアーに申し込みました。

ボスニアは90年代初め内戦がありました。セルビア軍に四方を囲まれていて、この地図の様子でした。

 

このトンネルは1990年代のボスニア紛争の中で、包囲されたサラエボの人々の命を支えた、まさに“希望”そのものだった場所です。

 

1992年から1996年にかけて、サラエボは約4年間にわたり包囲されました。
電気、水道、食料などが不足し、市民は常に危険と隣り合わせの生活を送っていました。

そんな中、1993年に空港の地下を通る秘密のトンネルが建設されます。
全長約800メートルのこのトンネルは、包囲された市内と外の地域をつなぐ唯一の命綱でした。

食料や医薬品の運搬だけでなく、人々の移動や情報伝達にも使われ、多くの命を救ったと言われています。

 

人気のない観光地かと思いきやかなりの人数。特に修学旅行なのか、高校生の団体がすごくたくさんいました。

 

一日中付き合ってくれたドライバー兼ガイドのおじさん。ボスニア軍の兵士だったそうです。

 

 

このトンネルから病床人を運び出したり、食料が運ばれたりしました。

中に入ると、まず感じるのはその狭さ。
天井も低く、大人がかがみながら進むような場所もあります。

こんな空間を、人々が物資を背負って何度も往復していたのかと思うと、胸が締め付けられます。

館内には当時の映像や写真、使用されていた道具なども展示されていて、戦争が「遠い国の昔話」ではなく、ほんの30年前に実際に起きた出来事なのだと強く実感しました。

 

 

 

 

 

この家の住人だった人たち。今は英雄ですね。

 

 

サラエボ包囲で亡くなった人の名前が掲示されていました。

 

実際のトンネル内部。本当に人1人通るのがやっとな感じ。今は整備されて観光客用にきれいにされていますが、当時はもっと汚いし、問題は地下水だったそうで、すぐに水が溜まってしまうのでかきだすのが大変だったとのことです。

 

 

高校生の修学旅行

 

その後1984年に開かれたサラエボオリンピックのボブスレーのトラックを見に。

 

山の上で、まだ雪が残っていてちょっと肌寒い感じでしたが、この日はよく晴れていて気持ちが良かった!

インスタ映えしそうなところでした。84年にオリンピックが開かれるほど繁栄していたのに、その何年か後に戦争が起きてめちゃめちゃになるなんてしんじられない。

 

当時のオリンピックのマスコットキャラクター

駐車場から10分くらいこんな道を通るのだけどとても気持ちの良いお散歩になりました!

次に向かったのは「Old Jewish Cemetery(旧ユダヤ人墓地)」。

サラエボには、16世紀ごろから多くのユダヤ人が暮らしていました。

スペインで行われたレコンキスタと異端審問によって追放されたセファルディ系ユダヤ人たちが、当時オスマン帝国領だったボスニアへ逃れ、この街に定住したのです。

 

 

墓地のある丘は市内を見渡せる高台に位置しているため、包囲戦の際には狙撃地点として利用されました。
現在も墓石には弾痕が残っており、第二次世界大戦だけでなく、近年の戦争の記憶まで刻まれています。

 

 

 

弾の跡がたくさん残っていました。

立派な墓石ばかり残っているけれど今は誰がお参りに来てくれるんでしょうか・・・

 

 

サラエボの街の建物は綺麗になっているのがほとんどだったけど、たまにこう言う建物もまだ残っています。銃弾の跡がそのまま残っているんです・・・

今回の旅行で「サラエボ・サファリ」なる言葉を初めて知りました。複数の告発や証言によると、観光客は「サラエヴォ・サファリ」と呼ばれるツアーで主にイタリア等の諸外国から入国し、スルプスカ共和国軍に最大10万€(日本円で約1800万円)相当の金銭を支払い、供与された銃器で現地の民間人をスポーツハンティングの如く娯楽感覚で銃撃していったとされています。

 

さて、夕飯はSedef

 

 

 

クレペ。

 

 

永遠の炎。

 

 

セルビア正教会

 

 

このおじちゃんからこちらの銅のコーヒーセットを買いましたー。プラスでこの金色のコーヒーミルも。コーヒーミルは他店で作ったものだそうで値引きかなわず。€45だったかな…

観光客向けの絵柄入りがどうしても嫌で。

 

 

夕飯は軽めにしました。

 

子どもはやっぱりの肉!!